喜働が失われた原因は教育にもあるのではないか ~私たちは「なぜ働くのか」を学んできただろうか~

喜働が失われた原因は教育にもあるのではないか

~私たちは「なぜ働くのか」を学んできただろうか~

最近、「喜働(よろこんではたらく)」という言葉について考える機会がありました。

倫理法人会などで学んでいる人には馴染みのある言葉ですが、一般にはあまり知られていないかもしれません。

喜働とは、長く働くことでもなければ、無理をして頑張ることでもありません。

働くことそのものに喜びを見いだし、人や社会の役に立つことに価値を感じながら働くことです。

しかし現代社会を見ていると、

「働くのは生活のため」
「できれば働きたくない」
「早く定年になりたい」

という声を耳にすることも少なくありません。

もちろん、その気持ちも理解できます。

働くことが苦しい経験になっている人もたくさんいるからです。

ただ私は時々思うのです。

なぜ私たちは、喜んで働くことが難しくなったのだろうか。

その原因の一つは、教育にもあるのではないかと。

私たちは「どう働くか」は学んできた

学校では多くのことを学びます。

国語。
算数。
理科。
社会。
英語。

そして最近では、

キャリア教育
職業体験
進路指導

なども行われています。

つまり、

「どう働くか」

については教わる機会があります。

どんな職業があるのか。

どんな資格が必要なのか。

どの学校へ進学すればよいのか。

そうした知識は学びます。

しかし、

「なぜ働くのか」

については、どれだけ学んできたでしょうか。

働く意味を教える機会が減った

昔の日本には、家庭や地域の中で自然に伝わっていたものがありました。

親が働く姿を見て育つ。

家業を手伝う。

地域の大人と接する。

商売をする人の姿を見る。

農業をする人の姿を見る。

職人の仕事を見る。

そこには、

働くとは人の役に立つこと。

働くとは家族を支えること。

働くとは社会に貢献すること。

という価値観が自然に存在していました。

しかし現代ではどうでしょう。

仕事は会社の中で行われます。

子どもが親の仕事を見る機会は少なくなりました。

地域とのつながりも薄くなりました。

結果として、

「働く姿」

そのものを見る機会が減っているように感じます。

昔話は「働く意味」を伝えていた

私は最近、日本の昔話について考える機会が増えました。

昔話には不思議な共通点があります。

桃太郎。

花咲かじいさん。

かさ地蔵。

舌切り雀。

どの話にも、

感謝
思いやり
約束
助け合い
誠実さ

が描かれています。

そして多くの場合、

真面目に生きる人が報われ、
欲張りすぎる人が失敗する。

これは単なる娯楽ではありません。

昔話は、日本人として大切にしたい心を伝える教育だったのではないでしょうか。

その中には、

働くことの意味も含まれていたように思います。

誰かのために行動する。

役に立つ。

感謝される。

そうしたことに価値を見いだす心です。

昔の人たちは、

「なぜ働くのか」

を教科書ではなく、物語を通して伝えていたのかもしれません。

喜働は教科書では伝わらない

私は、

喜働は知識ではなく文化だと思っています。

だから教科書を読ませるだけでは身につきません。

大人が見せるものです。

子どもは、

「仕事は大切だ」

と百回言われるより、

親が生き生きと働いている姿を一回見る方が学びます。

「ありがとう」

と言われて帰宅する親の姿。

仕事の話を楽しそうにする大人の姿。

誰かの役に立てたことを喜ぶ姿。

そうした背中こそが教育です。

私は以前から、

「親の頑張る姿は、子どもにとって最高の教育である」

と思っています。

それは成績や学歴の話ではありません。

生き方そのものです。

そして、学校の先生も、地域の大人も、経営者も、職人も同じです。

子どもたちは、大人が何を語るかよりも、どう生きているかを見ています。

喜働は教えるものではなく、

伝わるものなのだと思います。

働き方改革の次に必要なもの

働き方改革は必要です。

長時間労働を減らすことも大切です。

健康を守ることも重要です。

しかし、それだけでは人は幸せになれません。

なぜなら、

働く意味が見えなければ、

労働時間が短くなっても苦しいからです。

私はこれからの時代に必要なのは、

「働き方改革」

だけではなく、

「働く意味の教育」

ではないかと思っています。

なぜ働くのか。

誰のために働くのか。

何のために生きるのか。

そこを語らないまま制度だけを整えても、

本当の意味での喜働は生まれないのではないでしょうか。

喜働が失われた原因は、景気だけではありません。

会社だけの問題でもありません。

もしかしたら私たちは、

「なぜ働くのか」

を次の世代に十分伝えられなくなっているのかもしれません。

昔話が伝えてきたもの。

親の背中が伝えてきたもの。

地域の大人たちが伝えてきたもの。

そこには、

「どう働くか」

ではなく、

「なぜ働くのか」

という問いへの答えがあったように思います。

働くことは、お金を得るためだけの手段なのか。

それとも、人の役に立ち、自分の使命を果たす営みなのか。

もし喜働が失われつつあるのだとしたら、

私たちが見直すべきなのは労働時間だけではなく、

「働く意味を伝える教育」そのものなのかもしれません。

皆さんは、

「なぜ働くのか」

を、誰から学びましたか?

関連情報

コメントは受け付けていません。

特集