「働いて、働いて」の前に必要な言葉 ~働き方改革と喜働、そして教育の話~

「働いて、働いて」の前に必要な言葉

~働き方改革と喜働、そして教育の話~

先日、高市総理が記者会見で、

「働いて、働いて、働いて……」

という趣旨の発言を何度もされたという話を耳にしました。

この言葉だけを聞き、

「これ以上働けというのか」
「働き方改革に逆行している」
「昭和の根性論だ」

と感じた人も多かったようです。

しかし私は、その言葉を聞いた時、ふとこんなことを思いました。

もし、

「(喜んで)働いて、(喜んで)働いて、(喜んで)働いて……」

だったらどうだろう。

同じ「働く」でも、受け取る意味は大きく変わるのではないでしょうか。

この「喜んで」という一言があるかないかで、私たちが考えるべき本質が見えてくるような気がするのです。

 

働き方改革と喜働は矛盾するのか

現代では「働き方改革」が進められています。

・残業を減らす。
・休日を確保する。
・ハラスメントをなくす。
・多様な働き方を認める。

どれも大切なことです。

 

一方で、「喜働」という考え方があります。

その中の「喜働(よろこんではたらく)」という言葉を聞くと、

「もっと頑張れと言われている気がする」
「気合いと根性の話ではないか」

と感じる人もいるかもしれません。

私は、働き方改革の前提には、喜働は重要だと思います。

「時間」と「心」を混同していないか

私は、「働く時間」と「働く心」

を同じ土俵で考えているのではないかと思うようになりました。

 

働き方改革が扱うのは、

・労働時間
・休日
・給与
・制度
・健康

といった外側の環境です。

一方、喜働が扱うのは、

・使命感
・感謝
・貢献
・成長
・生きがい

・喜び

といった内側の心です。

本来は別の次元の話です。

だから対立するものではありません。

むしろ、

働き方改革は土台づくり。

喜働は、その土台の上で花開く心の状態。

そう考える方が自然だと思うのです。

 

喜働は「長く働くこと」ではない

喜働を誤解すると、

長時間労働を美化する言葉になります。

 

本来の喜働は違い、働く時間の長さではありません。

「どんな心で働いているか」

です。

 

嫌々働く8時間と、

誰かの役に立っている実感を持ちながら働く8時間。

同じ8時間でも意味はまったく違います。

 

喜働とは、

労働時間ではなく、
労働の質の問題なのです。

では、なぜ喜んで働けなくなったのか

ここで私は、もう一つの問題があると思っています。

それは教育です。

私たちは学校で、

・間違えないこと
・正解を出すこと
・言われたことを守ること

は学びます。

 

しかし、

・なぜ働くのか。

・人の役に立つとはどういうことか。

・働く喜びとは何か。

・使命とは何か。

そうしたことを学ぶ機会は決して多くありません。

その結果、

「働く=生活のために我慢すること」

という価値観が強くなってしまう。

もちろん生活のために働くことは大切です。

しかし、それだけになると仕事は苦役になります。

 

喜働は教えるものではなく、見せるもの

さらに言えば、

喜働は知識として教えるものではなく、

体験として伝わるものではないでしょうか。

 

子どもは、

「仕事は素晴らしい」

と百回言われるより、

親が楽しそうに働く姿を一回見る方が学びます。

「人の役に立ててうれしい」

そう語る大人を見る方が学びます。

 

以前から私は、

「親の喜働は、子どもにとって最高の教育である」

と思っています。

 

志を持って生きる姿。

人のために尽くす姿。

働くことを前向きに捉える姿。

そうした背中こそが教育なのだと思います。

 

喜べと言ってはいけない

ただし、喜働を標語にしてはいけないと思っています。

「もっと喜びなさい」

「感謝して働きなさい」

と言われた瞬間に、喜びは義務になります。

義務になった喜びは、もはや喜びではありません。

だから必要なのは、

「喜べ」ではなく、

「喜べる環境をつくろう」

という発想です。

 

いま本当に必要なのは何か

私は、働き方改革は必要だと思います。

でも、本当に必要なのは、働き方改革だけでなく、

「なぜ働くのか改革」

なのではないでしょうか。

・制度を整える。

・労働環境を整える。

 

その上で、

・人の役に立つ喜びを知る。

・使命を持つ。

・感謝される喜びを知る。

その両方がそろった時、働くことは単なる労働ではなくなります。

 

私は、高市総理の「働いて、働いて」という言葉を聞いて、

本当に必要なのは、

「喜んで」

という一言ではないかと思いました。

 

そして、その「喜んで」を生み出すのは、

制度だけでも、根性論だけでもなく、教育なのだと思うのです。

家庭で。
学校で。
地域で。
職場で。

私たちは、「どう働くか」だけでなく、

「なぜ働くのか」を、

もう一度考える時代に来ているのかもしれません。

みなさんは、

「喜んで働くこと」

を、誰から、何から学びましたか?

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