第一話 人は、どこで人生を選んでいるのか

第一話 人は、どこで人生を選んでいるのか

◆これまで、あまり話したことがないことを書く。

なぜ、今なのか?

それは、また次の決断をする時期に来ている気がしているからである。

最近、自分の視野が、すべてPCの画面か、3Dのバーチャルカメラを装着して見ているような感覚になることがある。

まるで、映画『マトリックス』の世界だ。

だからこそ、一度、自分の中を整理しておきたいと思った。

 

それは、「なぜ高校教師を辞めたのか」という話にも通じている。

これまでは、自分の挫折や、保守的な教育界への諦めを理由として話してきた。

それは間違いではない。 その通りでもある。

けれど、その裏の裏には、「人事異動」があった。

 

私は、M高校⇒B高校⇒R高校⇒S高校と異動している。

最初に言っておくが、異動に不満があったわけではない。

選択肢があったからだ。

私が高校教師になりたかった理由の一つに、「ソフトテニスを指導したい」という思いがあった。

M高校では、最初は野球部、途中からソフトテニス部。

B高校では、私はソフトテニスの強化選手だったが、学校の方針で軟式野球部の監督を3年やった。

3年目のGW。 ソフトテニスの合宿の帰りに交通事故に遭った。

そのとき、ふと思った。

「ああ、俺も死ぬんだな」

そして、こう思った。

「いつ死ぬかわからないなら、一年でも早く、ソフトテニスの指導がしたい」

そんなとき、知り合いの大先輩から、

「ソフトテニス部の顧問になることを条件に、R高校に来ないか」

という話をいただいた。

 

私は承諾した。

当時の校長や周りの先輩たちは、みな反対した。

「あと数年したら、自分の希望エリアにも行けるし、ソフトテニスの指導もできる。無理して行く必要はない」

そう言われた。

けれど、自分の中では決まっていた。

R高校の4年間は、部活動も担任も、すべてが大変だった。

でも、やりがいもあり、楽しかった。

 

4年目、転勤希望を出した。

第一希望は札幌。 第二希望以降は、「ソフトテニスの指導ができる学校」で、「できるだけ大きな町」で、「できるだけ学力レベルの高い学校」と書いた。

校長は、本当に頑張ってくれた。

しかし、提示された学校は、第3希望にも入っていない学校だった。

 

校長と、こんなやり取りがあった。

「釣部先生、この学校は第3希望にも入っていないが、悪い学校じゃない。札幌へも車で3時間程度で行ける。テニス部もある。3~4年頑張ったら、次は札幌に行けるから……」

私は答えた。

「校長先生、この学校もいい学校ですから、無理して希望外の学校に行く必要はないです。もう一年、ここでお世話になります」

すると校長は、少し間を置いて言った。

「それがな、ノーと言ってもらいたくないんだ。実は次にこの学校に来る先生が決まっている。釣部先生が断ると、芋づる式に数名の先生の人事がなくなるんだ」

「それはないですよ……」

「すまないが、俺のために泣いてくれ。必ず、次は第一希望に異動させるから……」

私は、一晩考えた。

 

そして、承諾した。

卒業式の日。 急に校長室に呼ばれた。

「釣部先生、異動先が変わった」

そう言って見せられた紙には、事前に承諾していた学校名の上に訂正線が入り、横にS高校と書かれていた。

「私も、君のために頑張ったんだ。第一希望のエリアだ」

正直、全く知らない学校だった。

ここまで来て、「行きません」とも言えない。

私は、「ありがとうございます」と答えた。

嬉しくもなかった。 悲しくもなかった。

ただ、複雑だった。

 

そしてS高校での4年間。

ここでも、熱血教師だった。 楽しかったし、充実していた。

娘も生まれ、家も買った。

ここまでは、ある意味、よくある人生の話かもしれない。

けれど、後になって、自分の人生を大きく考え直す言葉をくれた人物がいた。

それは、教え子だった。

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