『つりひろの入院妄想記~一病息災~「一」の章』◆人生最後の食事
◆人生最後の食事
医者に「いつ止まるか分からなかったんですよ」「手術が成功すると治りますから…」などと言われると、「手術が失敗したらどうなるんだろう」「俺の心臓はもう限界だ、疲れた…」と、つい余計なことを考えてしまうことがあった。
そんなとき、大学生の頃、飲みながら仲間と「もし自分が明日死ぬとしたら、最後の夕食のメニューは何にする? 誰と食べる?」などと能天気な話をしていたことを思い出した。以前、確かアメリカの本で「死刑囚最後の食事」を写真に撮ったものを見たことがある。ステーキを選ぶ人、ハンバーガーを選ぶ人、いろいろだった。
「誰と食べたいか?」という質問については、ここでは大人の事情で触れないことにしておくのが賢明だろう。
私の妄想が始まる。前提は病気ではなく、健康で何でもOKという設定だ。メモを取るなどという無粋なことはしない。
まずは、鮭の切り身が欠かせない。それも、西別川(道東の川で、世界一美味しい鮭が獲れるという人もいる)のシャケで、薄塩がいい。
茶碗蒸しも欲しい。白いご飯とみそ汁も欠かせない。みそ汁の具は豆腐がいいか、あるいはシジミもいいな。刺身も欲しい。絶対に外せないのはマグロの赤身と中トロだ。わさびは自分で擦りたい。あとは旬のものであれば、それで十分。寿司も食べたい。鉄火巻は外さない。イクラとウニも加えたい。いわしの変わり巻もいいな(これについては『つりひろの男の料理』に書いてあるので、知りたい方はそちらを購入していただきたい)。寿司なら、生サバの握りも食べたい。
アルコールは生ビールと美味しい日本酒。日本酒は冷やがいい。
もう一人の自分が問いかけてくる。「から揚げはどうだ? 豚カツはいらないのか?」
豚カツはパスだ。から揚げは追加しよう。
ここまで妄想を広げると、「俺はやっぱり日本人なんだな」とつくづく思う。鮭が出てくるあたり、子どもの頃の小さな幸せな記憶が浮かぶ。
ベッドに横になりながら、妄想した食材をイメージしてテーブルの上に並べていく。すると、一つ気付くことがあった。こんなにたくさん食べられるはずがない。
それじゃあ何を減らそうか? と考え始めるが、だんだんバカらしくなってくる。明日死ぬと分かっていて、食事を楽しんでいる場合なのか? と気づくのだ。
そもそも、前提の質問が愚かだ。リアリティがなさすぎる。俺は死刑囚でもなければ、反省しながら死を待つ人間でもない。
「やり残したことはないのか?」「家族や友人、仲間にビデオメッセージで残しておきたい言葉があるだろう?」「飯よりそっちの方が大事だろう?」そんな声が頭に響く。先に逝く親不孝を母親に謝らなければならないだろう。
そうだ、俺にはやり残したことがあるのだ! でも、そもそも俺は何をするために生まれてきたのだろう? 俺の人生は何だったんだ? ビデオメッセージを残すと言うが、誰に何を伝えればいいのか?
次の妄想が始まる。さすがに次の妄想はメモを取ることにした。しばらくすると、眠気がやってきたので、そのまま眠った。そのメモの中に「入院中に妄想したこと、考えたことを本にする」という項目があった。
だから、これを書いているのである。
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