誤った一時保護によるケース

【誤った一時保護によるケース】

 具体的に、児童相談所の被害に遭った親や子どもから話を聞くと、以下のような原因で、虐待という冤罪を受けて誤って一時保護され、親子が引き離されています。

① 事故によるケガを虐待として医師に通報される

 

② 子どもが親に虐待されたと嘘をつく

 

③ 病院や学校や児童相談所にとって不都合の隠蔽に利用される

 

④ 児童精神科医と児童相談所による虐待 

 

⑤ 保護単価獲得のため、子どもを拉致する

 

⑥ 児童相談所所長の胸三寸

参照:『児童相談所問題の闇〜闇から抜け出るために何をはじめるのか〜』(内海 聡 著)

冤罪ケース①―1 事故によるケガを虐待として医師に通報される

 

 母親がGちゃん (当時1歳)を抱いて階段を降りていた際、足を滑らせて階段から転落しました。母親は打撲を負い、Gちゃんは手を骨折してしまいました。Gちゃんを心配した母親は、自分のケガの手当もそこそこにして、慌てて病院にGちゃんを連れて行ったところ、Gちゃんを診察した医師が「母親の虐待のせいでGちゃんが骨折した疑いがある」として児童相談所に通報してしまいました。通報を受けた児童相談所は、母親からの事情聴取をすることもなく、Gちゃんを緊急一時保護と称して連れ去りました。

 その後、母親はGちゃんのケガの本当の原因を何度も説明しましたが、どんなに母親が事実を説明しても、児童相談所は母親の言い分を一切聞かず、「自分の虐待を認めない、自覚のない虐待親」と決めつけました。

さらに児童相談所は「お母さんが自分の虐待を認めないなら、今後、子どもさんとは会わすことはできない」と脅迫したため、母親は「自分が虐待を否定している限り子どもは返してもらえない」と判断し、子どもを返してもらうためだけに自分がしてもいない虐待を認めることにしました。そして児童相談所には一切逆らわず、従順に従うことにしました。

 

形式的とはいえ母親が虐待を認めてからというもの児童相談所職員は、母親に対して「お前は虐待親だ」と何度も言い聞かせ、母親が少しでも自分の主張をしたり、疑問点について質問したりすると、「そういうことを言うのは反省がうかがえない」と睨み付けました。母親は職員の態度に不信感を募らせましたが、徹底的に従順な母親を演じることを貫き通しました。すると6か月後になんとか子どもを返してもらうことができました。

 しかし現在も、いつまた子どもが児童相談所に事実無根の虐待通報をされて、連れ去られてしまうかわからないという不安に脅えて暮らしています。

 

 このケースでは母親は子どもに対していかなる体罰も与えていません。「児童虐待がある」という、病院からの一方的な通報だけで、ここまでのことが行なわれているのです。これは、子どもをもつ親全員にいつ訪れてもおかしくない悲劇です。

 

冤罪ケース①―2 事故によるケガを虐待として医師に通報される

 2020(令和2)年10月に兵庫県明石市は、児童相談所が2018(平成30)年に虐待を疑い一時保護した当時2か月の乳児が、両親と1年3か月間引き離されて暮らす事案があったと発表し、同市の市長は虐待はなかったと認めた上で、「家族で過ごす時間を奪ってしまい、申し訳なかった」と謝罪しました。

 

 このケースも虐待に骨折よると医師が判断し、児童相談所に通報し、保護されたケースでした。診断し通報した医師は、内科医であったといいます。

 両親によると、いつどこで骨折したかがわからない原因不明の骨折でしたが、児童相談所のアドバイザーである医師が「螺旋状の骨折であり、右腕をひねらないと起きない骨折で大人の力によるものである。100%虐待によるものと考える」と診断し、3歳の長男、2か月の次男の2人の子がいたにもかかわらず、次男だけ一時保護したそうです。

 両親は弁護士に相談したところ、「骨折はあるが、故意か過失かの断定は極めて難しい。これが『100%虐待』と断言できるということは極めて難しい。赤ちゃんの二の腕はものすごく小さい。つかめないです、両手では。理屈で言うとできるのかもしれないけど、現実的にどうなのか」と話していました。

 

 児童相談所は、いくら説明しても「虐待を認めない虐待親」だと決めつけます。次男が一時保護された後、乳児院への長期入所に同意するよう求められましたが、両親は虐待を認めるようなことはできないと考えて、同意をしませんでした。そして、虐待ではないと裁判所に訴え、審判をはじめたといいます。

 

 

 

冤罪ケース①―3 事故によるケガを虐待として医師に通報される

 K君は生後10か月の時、両親と父方の祖父母の実家で過ごしていました。K君はリビングのローテーブルで「つかまり立ち」を嬉しそうに披露して、両親と祖父母を喜ばせていました。

 その時、K君の手がローテーブルから離れ、直立した姿勢のまま棒のようにまっすぐ後ろに転びました。一瞬の出来事で、母親は支えることができず、分厚いカーペットが敷かれた床に倒れたのでした。

「ゴン」という鈍い衝撃音が響き、K君は火がついたように激しく泣き、母親はすぐに抱き上げてあやしましたが、なかなか泣き止まらず、目が半開きのような状態になり「スー」と寝てしまいました。ソファに寝かせると、手足をピーンとつっぱり数秒すると弛緩するという状態が2、3回続いたため、母親はすぐに救急車を呼び、病院に搬送されました。

 

 K君は病院の診察室までに3回嘔吐をしたためCT検査を受け、硬膜下出血と脳浮腫がみられ入院となりました。CT検査後は、K君はベッドの上で活発に動き回り、母乳も飲み、笑っていました。翌日の検査では出血も少なくなり、脳外科医は「子どもにはよくあること。すぐに退院できるでしょう」と両親に伝えました。このとき、母親は医師に3日前にもK君は転倒をし、泣いたあとトロン寝てしまったが、その後はいつもと変わらなかったことも話し、母親は事故の予兆があったのに対応できなかったことを、とても後悔していました。

 ところが2日後、MRIと眼底出血の検査を受け、眼底出血があるとわかった時、サッと小児科医の顔色が変わりました。小児科医は「風邪の症状があり肺炎が疑われるから」とレントゲン検査をすると説明しましたが、後にそれは虐待の跡がないかを調べるものとわかりました。

 小児科医は「乳幼児揺さぶられっこ症候群の疑い」で児童相談所に通告したと両親に告げ、両親は揺さぶった覚えなどないと抗議しました。

 翌日すぐに児童相談所の担当者が病院に来て、担当の児童福祉司より「お子さんは自宅へは返せません。乳児院への入所になると思います。3年になるか5年になるかわかりません」と言われ、両親は事故であることを必死に話しましたが、まったく聞き入れてもらえず、退院後に乳児院に入所となりました。

 

 

◆乳児院退所後も24時間365日第三者の監視がある生活

 入所が決まったとき、K君の両親に児童相談所は次のように主張しました。

① 虐待とは思っていないが揺さぶられ症候群の可能性は否定できない 

② 転倒しただけで、硬膜下血腫、眼底出血、脳浮腫を起こすことは医学的にありえない 

③ 原因不明なので対策が取れない、児相が考える安心・安全な環境でなければ子どもは返せない

④ 子どもが怪我をしたことは、親の安全配慮義務違反ということになる

 

 この通達により家庭内は荒れ、両親は泣く泣く施設入所に同意しました。K君は乳児院への入所中は、面会制限はありましたが面会は可能だったため、両親は毎日面会に行っていました。

 事故から7か月後に施設入所措置が解除されましたが、元々親子3人で暮らしていた自宅への帰宅が認められず、母親の実家に身を寄せることとなりました。父方の祖父母は事故があったときに一緒にいたため、子どもの養育から阻害されていたためでした。

 さらに、「保育園の利用は必須、24時間365日、第三者の監視がある生活をしなさい」と言われ、保育園の送迎も、有料のファミリーサポートやベビーシッターを利用しなければならないと決めつけられました。児相や市の職員の家庭訪問も毎週のようにあり、母親の両親もストレスで疲れ果てたため実家を出なければならない状況に追い込まれました。

 

 そんな状態をみるに見かねた市の職員や、乳児院の園長先生までもが「今の状態では、子どもの成長にはよくない」と児童相談所にかけあってくれましたが、何も変わらず、児童相談所は「医者が転倒くらいでは起こらない重篤な症状だと言っている」「とにかく原因が不明なのだから」と言い、生活の自由を制限するだけで何の指導も支援もなかったといいます。

 

 児童相談所の職員が専門家であるならば、両親たちが虐待をしないで愛情ある子育てができるよう家族再統合というサポートをするのが、本来の仕事であるはずです。しかし、監視しコントロールしかしないのがほとんどでした。

 

 

◆「乳幼児揺さぶられ症候群」は虐待であるという構図

 では、なぜ転倒して頭を打ったK君は、「揺さぶられ症候群による虐待」とされたのでしょうか。

 乳幼児の事故によるケガを虐待として医師に通報され、一時保護されるケースとして大きな問題になっているものに「乳幼児揺さぶられ症候群(SBS:Shaken Baby Syndrome)があります。国連子どもの権利委員会(CRC)日本に2016(平成28)年春ごろから、SBSとして子どもが児童相談所に一時保護され返してもらえない」という相談が寄せられるようになったそうです。さらに、「赤ちゃんを強く揺さぶって傷害を負わせた」として、親が刑事事件で逮捕されるケースも増えています。

 

 厚生労働省が出している児童相談所の「子ども虐待対応の手引き」(平成25年8月改訂版)には、「乳幼児揺さぶられ症候群が疑われる場合の対応」として、「SBSの診断には、①硬膜下血腫またはくも膜下出血 ②眼底出血 ③脳浮腫などの脳実質損傷の三徴候」、を挙げており、「90センチ以下の転落や転倒で硬膜化出血が起きることは殆どないと言われている。したがって、家庭内の転倒・転落を主訴にしたり、受傷転機不明で硬膜化血腫を負った乳幼児が受診した場合は、必ずSBSを疑わねばならない。」と記されています。

 そのため、小児科や内科、児童相談所、さらには警察や検察では、自動的に「三徴候=SBS=虐待」という図式がまかり通っており、実際につかまり立ちで転倒したケースであっても、すべてSBSによる虐待として、自動的に保護する流れになっているのです。

 

 この問題について警笛を鳴らす脳障害の専門家である脳神経外科医や弁護士、虐待という冤罪をかけられた家族たちの決死のはたらきで、2017(平成29)年以降、SBSで子どもに傷害を負わせた、あるいは殺害したとして逮捕された父母や祖父母たちの無罪判決が次々と出されています。

 このSBSとされた数々の冤罪事件の背景については、ノンフィクション作家の柳原三佳氏が取材を重ね執筆した『私は虐待していない 検証 揺さぶられっ子症候群』に詳細にまとめられています。

 

 

 

 

冤罪ケース②―1 子どもが親から虐待を受けたと嘘をつく

 虐待されていないのに一時保護された実際の子どもの声として、「国連の子どもの権利委員会」に報告書を提出した高校生Sさんのケースを挙げましょう。

 これは、子どもの権利委員会(CRC)日本が発行する、2019(令和元)年のブックレットに掲載されている「お母さんと暮らしたい」と題して報告書を提出した、Sさんの生の声です。

   母の再婚相手に嫉妬し、私は「義父に虐待された」と嘘をつきました。それがもとで母 

  と引き離され、一切の説明もないまま児童相談所(児相)の一時保護所に入れられました。「虐待の話は嘘です!」と泣き叫びましたが聞き入れられず、「そんなに泣きたいなら、ここで泣いてろ!」と、だれもいない部屋に押し込められました。

 そこでは囚人のような扱いでした。日誌を書き終わると私語は一切禁止。食事や歯磨きの間でもです。ルールを破ると、だれかと話したり遊んだりすることを全部禁じる「お一人様」という罰が待っています。罰を受けている子と話した子も「お一人様」にされるため、罰を受けている間はみんなに冷たくされます。この罰が長いと一月も続きます。

   寝る前に飲まされていた薬も、翌日、必ず気持ち悪くなるので嫌でした。拒否しても「決まりだから」と強制的に飲まされました。

 児相は情報操作もしました。母への手紙は児相が言う通りに書くよう言われ、私には「母と連絡がつかない」と嘘をついたのです。母は毎日のように児相に電話をし、私を取り戻そうとしてくれていたのに、児相側は話合いを拒否していました。こうして私に「母は何もしてくれない」と思わせ、私が母を嫌いになるよう仕向けたのです。私はずっと家に帰りたかった。私はただ大好きなお母さんと一緒に暮らしたいんです。

 

 児童心理学からみて子どもが嘘をつくことはあります。しかし、虐待を受けたという嘘は嘘とは判断せず、虐待を受けていないと言うと嘘だと児相の職員に決めつけられる、このようなケースは多いのです。そしてもっと問題なのは、児童相談所は子どもを人間として扱ってはいないということです。収容所の管理人と奴隷の構図に似ていると思いませんか?

 

冤罪ケース②―2 子どもが虐待を受けたと嘘をつく

 Hちゃん (当時14歳)とI君(当時12歳)姉弟は、生活が乱れており両親に叱られることが多くなりました。姉弟は両親に叱られたことに憤り、両親に対しての嫌がらせを計画しました。この年頃の子どものイタズラ心もあったかもしれません。

彼らは放課後の学校に駆け込み、学校長に対して、両親の悪口をあることないことあげつらいました。小さな出来事を誇張したり、ありもしない話をでっち上げたりしながら、両親が自分たちにいかにひどいことをしたかを言いつけたのです。

 

 それを真に受けた学校長は、両親に対する虐待調査もしないまま、短絡的に児童相談所に「両親による虐待の疑いがある」として通報してしまいました。

通報を受けた児童相談所は、これまた両親に対する虐待事実をまったく調査しないまま、学校長と姉弟の話だけを鵜呑みにして、姉弟を一時保護してしまいました。

 

児童相談所は姉弟を一時保護した翌日に、彼らに対して健康診断を行ない、身体的虐待が行なわれた跡は一切ないことを確認し、そのことを両親に伝えたものの、なぜか姉弟を両親に返そうとはしませんでした。

両親は虐待通報をした学校長のところに直接出向き、虐待など一切ないことを説明したところ、学校長は虐待の事実はなかったことを認め、「虐待通報は間違いであった」と児童相談所に通報の撤回をしに行きました。

 

ところが、児童相談所は、なぜか学校長からの通報撤回要求を却下し、今度は子どもたちが「学校生活や日常の生活でついた傷」などと説明した話を「両親の虐待の痕跡だ」と言い始め、証拠もない両親の虐待をでっち上げ始めました。虐待行為は一切なかったことを主張する両親に対して姉弟との面会を禁止した上で、「姉弟は家に帰りたくないと言っている」として一向に子どもを両親に返しませんでした(実は姉弟は家に帰りたがっていたことが後に個人情報開示等により明らかになっています)。

 

◆一時保護され、薬漬けにされる子どもたち

 HちゃんとI君姉弟のようなケースは児童相談所が行なう不当な保護の典型的ケースです。子どもは得てしてこういう行動をとるものであり、それは愛着の裏返しでもあるでしょう。そして、特に問題視されるのは、親だけでなく現場を見ている教員の意思表明があるにもかかわらず、児童相談所側は徹底的に虐待の事実を捏造して虐待通報を取り下げないところです。この背景には、児童相談所のメンツ、予算請求、件数稼ぎなどさまざまな思惑があります。これについてはおいおい説明をしていきます。

 さらにこのケースでは保護施設の職員に暴行を受けていることが、保護された子どもの証言から明らかになったのです。これは日常的に行なわれていることであり、名目上虐待で傷ついた子どもを受け入れるはずの保護施設内で、さらにとんでもない虐待を加えているのだから始末に負えません。

 

また、保護された子どもたちは児童精神科医によって PTSD(心的外傷後ストレス障害) とかADHD(注意欠陥・多動性障害)などと診断され、薬を飲まされることになります。一時保護を行なった児童相談所の職員が「PTSDとかADHDの疑いがある」と決めつけたあげく、児童相談所と提携している児童精神科医に送り込んで病名を確定させています。虐待か否かを調査する前に、精神薬の投与が行なわれており、これは児童相談所職員の勝手な判断で精神病患者が作られているといっても過言ではありません。

そして、保護した児童には、最初から虐待があったことを前提に質問をして、発言を誘導します。「虐待されていたよね」「君は被虐待児だからね」などと誘導し、徹底的に洗脳していくのです。

 

虐待などしていない保護者は「虐待などしていない」と児相職員に詰め寄りますが、児相職員は自分たちの間違いを指摘されることに憤慨し、児相職員の言うことを聞かない「クレーマー保護者」だと決めつけていきます。あとは、法律を語り、場合によってはウソまでついて保護者を脅し、一時保護で拉致した児童を「保護措置」に切り替え、児童養護施設へと入所させていきます。こうして徹底的に家庭崩壊が進められていくのです。さらに裁判所も、こんな児相のシステムを知っていながら公的機関を庇おうとするのです。

 

冤罪ケース③―1病院・学校・児童相談所にとって不都合の隠蔽に利用される

(病院がでっち上げた代理ミュンヒハウゼン症候群(児相による拉致・ケース))

被害児Dちゃん(当時5歳)はある病気を患い入退院を繰り返していました。Dちゃんの入院中は常に点滴を行っている状態がありました。入院中、Dちゃんに原因不明の発熱が何回か続いたので血液培養検査を行ったところ、通常では考えられない「バイ菌」が複数発見されました。医師の話によると、このようなことは通常あり得ないことで、だれかが故意に点滴にバイ菌を混ぜている可能性があるとのことでした。

 

 その医師によれば、「Dちゃんの複数の発熱の際に担当した看護師は同一人物ではないので看護師がやったとは言えない」という曖昧な理由で「看護師が犯人ではない」と言い切りました。この決めつけは確かなる証拠のあるものではありません。その後、その医師は病院側の責任はないと決めつけたばかりか、なんと母親を犯人に仕立てあげました。「母親の見舞いの直後にDちゃんの発熱が起きている」という短絡的な理由からでした。

 Dちゃんの病室はナースステーションの向かいに位置しており、常に看護師たちから見える状態にあります。また同部屋の見舞い人がひっきりなしに出入りしている状態なので、母親がこっそりと何度もDちゃんの点滴に「バイ菌」を混入するのは不可能です。それにDちゃんの病室には監視カメラがあり、時間病室の様子が記録されていましたが、その記録映像には母親の不自然な行動は映っていなかったと病院側は発言しています。しかし、以降の裁判の過程で母親側から出された監視カメラの映像の開示請求を、病院側は拒否しています。

 結局、病院は母親を「代理ミュンヒハウゼン症候群」(周囲の関心・同情などを引くために病気の偽装や自傷行為を行なう精神疾患とされている)であると決めつけ、児童相談所に虐待通報しました。

 児童相談所は、母親の説明を一切聞かず、病院側の言うことのみを鵜呑みにしてDちゃんを一時保護してしまいました。事実調査など一切行なっていません。児童相談所は両親とDちゃんの面会通信を一切禁止しており、2年以上にわたって完全隔離状態としました。

 

◆不都合な真実を隠蔽する病院

このDちゃんのケースは、医師として非常に背景が理解しやすいケースです。それは、病院という場所は自分の罪や問題を隠すためには、どんなことも平気でやる場所だということです。

 裁判内容によれば起因菌が通常では考えられないものであるということですが、これが院内感染や医原病(医師や看護師などの医療行為を原因として起こる疾患)である可能性は当然、否定できません。

 院内感染を否定するのはまったく根拠に乏しく、医師の私から見ても、このケースが病院のミスである可能性は大いにあると思われます。しかも監視カメラまであるにもかかわらず、それには親の不審な行動が映っていないことと、開示請求にも応じないことをいかに考えるべきでしょうか。

 結局、このケースは病院による不都合な事実の隠蔽工作である可能性は十分考えられます。にもかかわらず、通告による捏造で児童は拉致され、事実はウヤムヤになってしまいます。

 これは病院側が、この児童相談所システムの欠陥をうまく利用したケースと言えるでしょう。

 

 このようなケースは日本中にゴマンと存在します。

このケースはほぼ間違いなく医原病であり、病院の不都合を隠蔽するために児童相談所が用いられたと言ってよいでしょう。

 

冤罪ケース③―2病院・学校・児童相談所にとって不都合の隠蔽に利用される

母親はE君(当時1歳)を母乳で育てていたが離乳食があまり進まず、身長も体重も同年代に比べかなり少なかった子でした。定期検診の際には、母乳ばかり欲しがり固形物をほとんど食べないE君に栄養不足の恐れがあると指摘されました。心配した母親はすぐに病院にE君を連れて行き診察を受けました。

診察の結果、E君は栄養不足が認められたために入院して治療することとなりました。母親は幼いE君を不安にさせないように、E君を毎日見舞っていたところ、病院からは「忙しいのでこんなに頻繁に来られると迷惑だ」と見舞いの制限をかけられてしまいました。

母親はやむを得ず病院の言うことに従い、見舞いの回数を抑えることにしましたが、E君の栄養不足は一向に回復しないばかりか、ますます悪化して様子がおかしくなっていきました。

 

これに対して母親が病院側に説明を申し入れた途端、病院は母親に説明を一切しないばかりか、「母親が命の危険のある子どもの治療を拒否し、半狂乱になって無理やり退院を迫っている」と児童相談所に虐待通報してしまったのです。

そして児童相談所は母親からの説明や事情を聞くこともせず、病院の言うことのみ一方的に聞き取り、そのままE君を一時保護すると共に、E君と両親の面会を禁止してしまいました。

 

E君の両親は児童相談所に対して、自分たちが病院の治療を拒否したことなど一度もなく、退院を無理やり強要したことなどもないことを何度も説明しましたが、児童相談所は一切耳を貸さず「虐待の自覚のない虐待親」と決めつけました。それどころか、「自分の虐待を認めない限り子どもさんとは会わせられない」と脅迫してきました。

「自分たちが自分の虐待を認めない限り、子どもを返してもらえない」ということを感じ取った両親は、自分たちの身に覚えのない虐待を、児童相談所に言われるがまま認めることにしました。児童相談所に逆らわなかったために、両親はE君との面会だけは認められるようになりました。

 

◆病院に逆らえず、保護を正当化しようとする児童相談所

確かにこの親にまったく責任がないわけではないかもしれません。周囲の意見を参考に乳児の食事について親がもっと学んでいれば、このようなこと自体は起こらなかったかもしれません。しかし、本当に子どもを虐待している親なら、虐待がバレかねない健診にわざわざ行くでしょうか?

 このケースの児相職員は、両親に「お子さんに対して一生懸命なことはわかりました」「でも、児童相談所が保護したほうがよいと判断しているので、それに逆らわないようにしてください」「親御さんには精神科の診察を受けてもらい、カウンセリングを受けてもらいます」「大人しく指示に従っていれば悪いようにはしません」「お子さんの精神状態を心理士等に判断させ、大丈夫なようなら一時帰宅を検討します」などという言葉を発しています。

なぜ両親に精神科の受診を指示するのでしょう? 私は医師としてこの両親が精神的におかしいとはまったく思えません。1歳の子どもの精神状態を心理士は診断できるのでしょうか? もちろんそんなことできるはずはありません。

 

この両親は自らの選んだ3人の精神科医に診断を委ね、「精神の異常を認めない」との診断書を取得し児童相談所に提出しました。ところが、児童相談所は「われわれが指定する精神科医による診断じゃないと、子どもを養育できるかどうかの判断材料にはできません」と言い放ったといいます。仕方なく児童相談所の指定する精神科医を受診し、そこでも「異常無し」との診断が下っているのですが、その後も子どもは家庭に戻ってはおらず、その理由を質問しても職員は明言を避けています。

 そして、両親はE君が「保護」されている施設に頻繁に通い、施設職員とも打ち解ける仲となりました。献身的な母親の言動から、施設職員は「あなたたちがE君を虐待しているなんて客観的に見てあり得ない」と信じてくれるようになり、児童相談所に対して 「E君をこれ以上保護する必要はない」と意見を進言してくれましたが、それでも児童相談所は一向にE君を両親のもとに返しませんでした。保護後、約3か月もの間、母親は毎日、施設に通い続けましたが、その間に児童相談所職員が施設に訪れることは一度もありませんでした。

 

冤罪ケース③―3病院・学校・児童相談所にとって不都合の隠蔽に利用される

被害児B君(当時2歳) の母親は、B君を連れて再婚しました。B君は母子家庭で母親が一人で育てた子であり、生活環境が安定しなかったため多動で落ち着きがなく、両親や先生の言うこともまったく聞かない 「育てにくい子」 でした。再婚後、B君の行動はさらに荒くなり、しばしば学校や家庭で暴れるようになりましたが、小学校高学年の男子であるB君の力はかなりなもので、両親は打撲や擦り傷を日常的に負うようになっていました。

 

両親はこんなB君の養育に困り果て、児童相談所に育児相談に通うことにしました。B君の両親は児童相談所を信頼し、真面目に児童相談所に通いました。しかし児童相談所は親身になって話は聞いてくれるものの、具体的な指導や提案は一切ありませんでした。児童相談所に通うようになり、1年以上が過ぎてもB君の状態は一向に改善されませんでした。しびれをきらしたB君の両親は「Bはなぜ変わらないのか。児童相談所に真面目に通っているのだから、解決策を見つけてほしい」と児童相談所職員に詰め寄るようになりました。

児童相談所側が苦肉の策で提案したのが、「お母さんも育児に疲れているから、少しの間、B君を里子に出して離れてみてはどうか?」という一時しのぎの案でした。

 児童相談所の提案に賛成したわけではありませんでしたが、B君の両親は疲れ切っていたため、その提案にのり、B君を里子に出すことで、B君と距離を置くことにしました。しかし、児童相談所はB君と両親を引き離すだけ引き離したまま、後のケアを一切せず放置しました。

 B君と離れて暮らし始めた両親は、すぐに「子どもと離れていては心が離れてしまう。根本的な解決にはならない」ということに気づき、児童相談所に対して「わが子を家庭に帰してほしい」と要求するようになりました。

 しかし児童相談所はなぜかB君を家庭に返さないばかりか、突然「B君がおかしいのは、B君の両親が虐待をしていたせいだ」と言い出しました。もちろん両親はB君を虐待などしていません。児童相談所は虐待の調査も一切しないまま、両親の虐待を決めつけました。

 

◆児相のメンツのため親権を剥奪し、家庭の再構築をしない

 指導が充分でないことを突かれた児童相談所は、その後、B君の祖父母(母方の両親)にこっそり連絡をとり、「孫であるB君が両親からひどい虐待を受けている」と事実無根の作り話を吹き込みました。

 その虚偽話を信じたB君の祖父母は児童相談所から助言を受け、家庭裁判所へB君の両親から親権剥奪をするための民事審判の申し立てを行ないました。家庭裁判所は何の証拠もない児童相談所と祖父母の証言だけを鵜呑みにし、B君の両親からB君を虐待していたと認定してB君の親から親権を剥奪し、祖父母をB君の親権者にする決定をしました。B君には幼い妹がいますが、児童相談所は妹に関しては虐待調査も一切行なっておらず放置したままです。児童相談所は、「親権剥奪をしなければならないほど虐待している」はずの両親について虐待調査さえ行なわず、幼い女の子を養育させ続けています。

 

この親は虐待とは何の関係もない、「子育て相談」という目的のもと児童相談所を訪れました。そんな親でさえも、ウソと捏造によって里子制度というシステムに無理やり「拉致」させられることになってしまいました。なぜ里子システムから元に戻そうとしないのかは、児童養護施設への入所を含めた利権を保持したいという思惑があるからです。

 

そしてこのケースには二つの矛盾があります。一つは、子どもと親との問題について修復を試みることもなく、祖父母に親権まで譲ってしまっていることです。これは本質的な解決とは程遠いものです。虐待の実態がなく児童相談所も何一つ虐待に関する証明はできていないにもかかわらず、児童相談所のメンツのために、親のもとから子どもが引き離されてしまったのです。

 そしてもう一つは、もう一人の子どもは両親の下にいるということです。倫理的にいえば、妹も祖父母のもとにいって兄弟ともに育っていったほうが理にかなっているし、本当に虐待親であるならそうなってしかるべきでしょう。しかし現実にはそうなっていません。

 

 このケースは児童相談所が家庭について真剣に考え、どうやって家庭の再構築に貢献しようとするか、その意思が皆無であることを明確にしている証ではないでしょうか。

 

冤罪ケース④ 児童精神科医と児童相談所による虐待

 被害児Cちゃん(当時6歳)は保育園、小学校と通じて友人からのひどいいじめを受けていました。いじめのストレスでCちゃんの様子がどんどんおかしくなっていったことから、Cちゃんの母親は、市の相談センター(児童相談所とは別の機関)にCちゃんの受けているいじめの相談に行きました。

 

 すると相談センターはいじめを解決する方策をまったく示さないで、「Cちゃんが精神的におかしい」と一方的に決めつけて、母親にCちゃんを精神科医へ受診させるよう勧めました。母親は相談センターの指示に従い、Cちゃんを受診させたところ、「うつ病」と診断され、その日のうちに薬を処方されました。

しかしCちゃんのストレスの原因はあくまでもいじめが原因と考えられ、薬で解決するものではありません。

Cちゃんはその後も、学校の先生が家まで迎えに来て、いじめがまったく収まっていない学校に無理やり登校させられていました。うつ病の薬を飲み続けながら…。そしてとうとうCちゃんは学校でのいじめのストレスに耐えられなくなり、母親に対しても毎日のように暴れるようになってしまいました。

 

困り果てた母親はCちゃんを早期に病院に入院させたいと考えましたが、その病院の医師から「児童相談所経由でなければすぐには入院させられない」と言われました。仕方なく母親はすぐに児童相談所に相談しました。すると、病院からすぐにCちゃんの入院を受け入れる連絡が来たため、入院させることにしました。

 

なお、この入院に関しては、児童相談所が病院にCちゃんを一時保護委託するという形がとられたので、Cちゃんに関しての母親から病院への質問や照会はすべて児童相談所長経由とされてしまいました。

 その後、Cちゃんに対する診療内容、病状の推移について児童相談所から母親には一切説明されることはありませんでした。

 

◆子どもを廃人にする児童精神科医と児童相談所の手口

 一時保護された後のCちゃんがどうなったかを話しましょう。入院後のCちゃんの精神状態は好転するどころかますます悪化していき、トイレに行かないで大便を漏らすようにまでなってしまいました。これはCちゃんが、大量の薬物を投与された結果、精神活動が著しく阻害された結果だと考えられます。

 

そしてその後、母親のもとに突然、児童相談所から、「虐待の疑いがあるため一時保護を延長する」との通知が送られてきました。その通知に書かれている虐待の内容というのはまったく驚くべきものでした。

 それは、「診断の結果、Cちゃんの処女膜が破損していることが確認され、Cちゃんの兄による性的虐待(レイプ)が疑われる」と信じられないものでした。

Cちゃんが入院する前も普段の生活の中でCちゃんと兄が二人きりになるような状况はなく、夜は母親とCちゃんは毎日一緒に寝ていました。またCちゃんの兄は成人であり、もしも6歳のCちゃんが成人の兄にレイプされたのが事実なら、処女膜破損程度では済まないはずです。

しかし児童相談所は事実調査を一切することもなく、実態の矛盾点も調査しないまま推測だけでCちゃんの兄をレイプ犯と決めつけました。そして、なぜかCちゃんの兄を警察に告発していません。もちろんこのケースでは性的虐待の事実など認められませんが、児童相談所はその証拠を提示することもなく、一方的に決め付けています。母親と兄に虐待という冤罪をかけているのです。

Cちゃんは家に帰りたがっていましたが、児童相談所はCちゃんの意志を無視し続け、Cちゃんを「保護」し続けました。そして、Cちゃんは病院にてリスバダール等の大人でも耐え難い副作用のある劇薬を投与され続けました。

 

このケースは私がずっと相談を受けて来た精神医学、児童精神医学の詐欺犯罪が、児童相談所と一体化して行なわれたものです。これは日常的に行なわれている児童精神科医と児童相談所による真の虐待といえるでしょう。

 

冤罪ケース⑤ 保護単価獲得のため、子どもを拉致する

 F君(当時8歳)は知的障害境界域といわれていました。一時的には不登校などの時期があり、母親自身も子どもの不登校の前から精神科に通院し、精神薬の多剤処方を受けていました。

母親は薬の投与後に状態がおかしくなっていきましたが、そのころは多剤療法を受けても精神科医を信じ込んでいたので、薬を疑うこともなかったし、医師に言われるがまま、薬を飲み続けていました。

精神状態が悪化したため、家庭は成立せず、母親は子どもの世話をほとんどできませんでした。子どもは一時的に児童養護施設に引き取られる時期もありましたが、「子どもを育てたい」という意志と親の努力によって再び家に戻れる時期もありました。

 

状況が激変したのは、F君が思春期にさしかかったころでした。おそらく思春期心性によると思われる幻聴のような症状と不登校が重なり、そして精神科ではてんかん発作はないのに脳波検査でてんかん波があるという理由によって、抗てんかん薬の処方がなされて少し経ってのことでした。F君が自殺未遂をしてしまったのです。それまで自殺企図などなかったことを考えると、抗てんかん薬により誘発された可能性も強いと推測できます。

その際、児童相談所職員から「F君の精神的ケアを行なうため」と説明をされ、一時保護が決まりました。この一時保護に関しては両親もF君の精神的回復を優先するとして逆らうことなく同意していたので、児童相談所もF君と両親の面会を禁止しませんでした。一時保護は病院に委託する形をとりましたが、ケガが回復すると同時にF君を児童相談所の一時保護に移しました。

この頃から児童相談所の対応はおかしくなりました。まず、一切の延長理由も示さず不可解な一時保護の延長が行われました。両親は「子どもの精神的回復を図るため」ならと一時保護後の入所処置に同意していましたが、児童相談所は、本来ならまったく必要のないはずの「入所措置の許可を取る審判」を「両親の虐待のため、入所措置が必要」として家裁に対して申し立てを行いました。家裁では虐待は認められませんでしたが、児童相談所の独断によってF君との面会禁止の継続を決定し、両親は数年以上にわたってF君と会えていません。

 

◆公務実績のため虐待対応件数を稼ごうとする児童相談所

なぜ、児童相談所はこのような不可解な対応をしたのでしょうか。

 通常、一時保護の期間は原則2か月であり、特別の理由がなければ一時保護は延長してはならないし、一時保護期間の2か月を越えて保護が必要な場合は入所措置に切り替えねばなりません。入所措置に切り替える場合は両親の許可が必要ですが、両親が入所措置に反対している場合は、児童相談所が家裁に審判を申し立てて家裁の許可を取り、「入所措置」に切り替えます。

 

F君の場合は、両親が一時保護も入所措置も両方とも同意しているため、児童相談所は家裁の許可を得る必要がなく家裁の審判も結果を待つ必要もないので、即刻入所措置に切り替えることができました。しかし、児童相談所は一切の延長理由も示さずに、一時保護を30日以上も延長し、入所措置に切り替えるのを拒み続けました。その間、児童相談所は、なぜか「入所措置」に対してすでに同意しているはずの両親に対して、何度も何度も「入所措置への再同意」を迫り続けました。

この不可解な児童相談所の対応は、F君の両親の人所措置に対する「子どもの精神的回復を図るため」という「同意理由」が気に入らなかったためです。どういうことかというと、被虐待児を保護することによって付く予算を確保しなければならない児童相談所は、自分たちの公務実績のためだけに「虐待対応件数」を計上する必要がありました。児童相談所は、虐待対応件数を稼ぐために両親に対して、F君に対する虐待をでっち上げ、「自分が虐待をしてしまったから入所措置を認める。」という同意理由がほしかったのです。

しかしF君の両親は虐待などしていないから、虐待を認める発言をしません。そこでついに児童相談所は、本来ならまったく必要のないはずの「入所措置の許可を取る審判」を「両親の虐待のため、入所措置が必要」として家裁に対して申し立てを行いました。さらに児童相談所は、自分たちの思いどおりにならない両親に対して腹いせ的に、F君との面会をも禁止してしまいました。

 

◆虐待親と決めつけるだけで、家族再統合のサポートをしない

結局、家裁はF君の両親が入所措置に同意していることを理由に、「両親が入所に同意している以上、家裁の承認は必要なく、入所措置を行える」と判決し、児童相談所の申し立てを却下しました。また審判において家裁は、F君の両親が虐待しているという児童相談所の主張を容認しなかったのです。

 

家裁の判決によれば児童相談所は「F君の精神回復のためには両親との面会制限が必要」として、児童相談所の独断によって強引に両親とF君との面会禁止の継続を決定、両親は数年以上にわたってF君と会えていません。

もちろん父親と子どもの間に虐待など一切存在しませんでした。父親は、「生真面目」という言葉が当てはまる、ごくふつうの会社員で、会社でもそのように評価されていました。それは母親だけでなく、その家族も証言しています。

子どもが保護されたころ、母親は多剤療法の苦しみから子どもには優しくできなかったかもしれないと言います。しかし薬のためか当時の記憶がないそうです。母親の精神状態は明確に医原病であり、また子どもが保護されたのも母親の虐待ではないわけですが、母親は自分に罪があると今も深く悔いています。

児童相談所はF君を親に会わせないばかりか、法的根拠や保護の理由についてさえも一切明かすことはありません。

本来、児童相談所は家庭に訪問して、状況を確認しながら隔離やその後の展望を決めるものですが、隔離以前から一切家庭には訪問していませんでした。ただの一回たりとも、です。そして一回も訪問していないにもかかわらす、児童相談所と児童相談所つきの精神科医は、父親をどうしようもない虐待者であるかのように断定しました。

 

家族には誰ひとり味方はいませんでした。あらゆる弁護士に相談しましたが、児童相談所とは闘えないと、請け負う人間は皆無でした。地方議員にも相談したようですが、虐待親の言い逃れ、遠吠えと判断されたようで、取り合ってもらえなかったといいます。

 

◆すべては児童相談所の目的達成のため

そして極めつけはこの思春期の子どもであるF君に対して、リスバダール、パキシル、ベンザリンという精神薬の処方が行なわれているということでした。

もともと内気な子であったようですが、これらの薬の投与により鎮静気味で、きっと彼らが望む「いい子=ロボット」に仕立て上げられていることでしょう。そう推測するのは、子どもがその診療によってどうなったか、それさえも情報はほとんど開示されていないからです。

 

今までの①〜⑤の冤罪ケースと基本は同じですが、彼らは弱いものから順に攻めていきます。本当に虐待をしている親、主張の激しい親には彼らは強く出ることはありません。職員は専門家ではないのですから当たり前です。

今を維持できればいい人間たちにとって、無理やりトラブルを抱え込むより、F君の両親のような児童相談所の指導に同意していくような、弱いと見切った人間を連れ込んだ方が、簡単に目的を達成できるからです。

 「一時保護」の目的とは、子どもをよくするためとか、落ち着かせるためとか、家庭の融通を図るためとか、そういう目的ではまったくないことです。「一時保護」は児童相談所にとって数字と予算を確保するための手段であって、その達成のためには子どもが廃人になろうが死のうが、家庭がどれだけ崩壊しようが知ったことではないのです。まさに精神医学、精神病院と同じ理屈の構図がここにも存在します。

これがこの日本で何百何千と起こっている現実なのだということを、あなたは許容することができるでしょうか。

 

時事通信(2022年2月3日)によると、児童相談所の対応にあたる児童福祉司の半数が勤続3年未満と経験が浅い事実があり、虐待に対応する職員の資質を高めるため、2022(令和4)年の2月に厚生労働省は虐待対応の新資格を2024(令和6)年4月に創設する方針を決めたようです。

これは、専門家のいない児童相談所が虐待の対応、虐待の相談を受けていた実態が明らかとなったにすぎません。

 

冤罪ケース⑥ 児童相談所所長の胸三寸

 2015年5月の土曜日、生後二ヶ月の男の子がぐったりして様子がおかしいので、父親は近所の病院へ連れて行きました。しかし、ここでは対応できないといわれ、別の病院に行きました。この病院では、頭の中で出血があるが、脳外科専門ではないので、また別の病院に搬送されましたが、そこでも赤ちゃんなので診断できないということで、子ども専門病院に搬送されました。

その病院では、ICUに入りましたが、原因はわからないまま治療が続きました。月曜日になり、母親は、当時2歳の長男を保育園へ預けて、その病院に行きました。すると、午後、保育園から児童相談所が長男を連れて行ったと連絡が入り、その後、児童相談所から親が虐待しているので、一時保護したと連絡が来ました。

 

両親とも虐待の心当たりなど全くないので、どうしてよいかわかりませんでしたが、何もしていないのだから長男はすぐに帰ってくると思い、帰りを待ちました。

ところが、一週間がたち、次男は成長してから、もしかしたら障害が出ることがあるかもしれないということでしたが、無事ICUから、一般病棟へ移ることができました。しかし、ICUから出たとたん、面会できなくなりました。

長男も次男も児相の一時保護になってしまったのです。

 

児童相談所からは、「おもいっきり首をゆすったからこのような症状が出た」と言われ、それが虐待ということで、長男にも危険が迫っているから一時保護したというのです。

2番目に行った病院では、外傷もないとされていたので、それが、何故虐待になるのか、両親にはわかりませんでした。「生後二か月の子を思いきりゆすったら、首が折れて死んでしまうだろう」と伝えても、全くこちらの言い分は聞こうとしません。「警察を入れて調べてほしい」と言っても、やってくれません。とにかく悪いのは、親が虐待したからだといい、裁判所に行ってもどうにもならないとも言われました。

今まで両親は、児童相談所は良いことをしているところだと認識していましたが、ネットなどで調べるとそういうことではないことをやっと知りました。

 

3か月後、長男が戻ってきました。一時保護の期間が過ぎても延長するという書類にサインをしなければ面会もさせないという風に脅され、サインをさせられました。

半年ほど過ぎて、ようやく月に一度の次男との面会が許されました。面会時に抱かせてはくれますが、次男は母親だと認識していないので、ギャーギャー泣き出します。すると児相の担当者が赤ちゃんを取り上げて、泣き止むのをこれ見よがしに見せつけます。そのようなことが、何か月も続きました。

一年ほど経ったとき、母親は長女を出産しました。出産前に、児相の男性担当者が、「産まれたらその子も児相で保護する」と脅してきました。

 

2年ほどたった時に次男を里親に出す計画があると言い、返すつもりが全くないことがわかりました。結局、里親の話はうまく進まず、児童施設に移されることになりました。児童施設に移されてからは、月に数回の面接が認められるようになり、4年目に入ってからは、自宅にお泊りもできるようになりました。

この頃は、児相の担当者が心ある人に代わって、「この家族を見ていたらとても虐待をしているとは思えない」と思ってくれ、家族のもとへ戻れるように色々と協力してくれました。

しかし、「児相の所長がOKを出さない限り、いつまでも帰ることはできない。何度も今度こそはというタイミングがあったが、所長のOKがでなかった」とのことでした。児相の担当者が異動で、また担当者が変わってしまう寸前で、何とか家族の元に帰ってくることができました。

その時、すでに一時保護から4年以上の歳月が経っていました。母親の温かさを一番感じなければならないときに、児相の都合で拉致された時間は戻ってきません。

 

ここで、児相に勤めていたことがあるという男性の話を紹介します。

「時に、虐待で亡くなる子供がいるが、何故なのか?」という質問をしたときのことです。彼は「本当に虐待しているような家には行かない。なぜなら、そういう親に限ってうるさいし、面倒なことになるから。それより簡単に連れてくることができるところをターゲットにします。病院からくる通報は一番楽なんです…」と答えたのです。

 

冤罪ケース⑦ 意味不明の一時保護理由

 Aさんの娘2人は、海外に留学していたが、帰国子女の中学生で別の学校を探すために、帰国していました。Aさんの勤める会社の社長はシングルマザーで小学4年生の不登校の男児がいました。Aさんと社長は、日中は仕事があり、また出張もあるので、相談して、その間、助け合って生活をすることにして、シングルマザーと同じマンションの一室を賃貸しました。家庭教師もしてくれる女性が親たちが仕事に行っている間、お世話役を引き受けてくれました。

 そのため、全員(3人)学校へ行っていませんでした。

 日中に、学校に行っていない、共同生活を不審に思った近所の人が児相に通報しました。

 児相と警察が朝7時に来て、いきなり、携帯での電話を禁じ、部屋の中を調査し、冷蔵庫を開けたりして、まともに世話人の話も聞きませんでした。子どもたちに、朝食を取らせてほしいと依頼しても認めず。約一時間後に、一時保護すると言って、子どもたちは、警察署に連れていかれました。ドアを出たところで、親に電話ができ、親が慌てて来たときは、駐車場。「後から、連絡する」と言い残し、警察署に連れて行かれました。子どもたちが児相についたのは、11時過ぎになっていました。

 翌日に、児相から、あることないことを言われました。( )内は実情です。

・虐待の疑いがある(冷蔵庫に食材が少なかった。ちょうど前日の夜、食材整理のため、鍋をしたところだった。)

・学校に行かせていない(帰国子女は、学校からの転入可否の回答を待っていた。男児は、不登校で、親は学校と頻繁に連絡を取っていた)

・児童労働させている(掃除、食材の買い出し、調理を教育のため、大人と一緒にやっていた)

 

 親たちは、納得がいかないため、事情を説明し、一時保護の理由を尋ねました。その回答は、「一時保護する理由があったから」という一言でした。

 さらには、「どこをどう改善すれば、返してもらえるのか?」と訊くと、それには回答しませんでした。

 もちろん、面会交流は認められていない中、そんなやりとりをしていると、児相から、親たちは、「『今の会社を辞め、今後関わらない』と同意書に書く」という条件が提示されました。

 数日後、子どもたちから親宛に、「一日も早く帰りたいので、同意書にサインをしてください」と手紙が届きました。

 

 帰国子女姉妹の両親であるAさんたちは、納得がいかなかったが泣く泣く、同意書にサインをし、会社を辞めました。

代表であるシングルマザーは、同意書にサインをするということは会社を閉鎖するということになり、社員や取引先のこともあり、「必ず、改善するから、どこをどう改善すればよいか、教えてほしい」と何度も懇願しましたが、その回答はありませんでした。そのうちに、子どもは、養護施設送りになっていました。さらには、養育費をこれまで払ってもいない、元夫に連絡し、養育する気があるか? と問い合わせていました。その子は嫌がりましたが、元夫は、養育を引き受けることになり、そちらに返され(行き)ました。

母親は、納得がいかず、親権を戻すために、裁判を提起しました。

そこで、調査員と何度か、面接を受けるなか、その調査員が、「この一時保護はおかしいし、元夫に親権が移ったのもおかしい。あなたが養育すべきです。結果はわかりませんが、そのように、ベストを尽くして報告します」と言ってくれました。母親は、はじめて私の思いを聞いてもらえたと涙しました。

まもなくして、親権が戻り、子どもは返ってきました。母親のもとに、この子が、戻ってくるまでに、数年が経過していました。小学4年生だった子供は、中学を卒業した年齢になっていました。

 

後日談ですが、彼は、以下のことを語っていました。

・児相にいた期間、勉強するテキストも教科書もなかった。

・不安で、おねしょをしたら、薬を飲まされた。

・養護施設で骨折した時、職員から「お前は親から愛されていないんだ。だから、お見舞いにも来ないだろー」と言われた。「俺は、親に捨てられたんだ」と思っていた(事実は、母親に、居場所も骨折の事実も知らされていなかった)。

 

親元に子どもが帰ってきたときには、別人のようになっていました。それは薬の影響と親への不信でした。帰って来てから、新たな地獄のような日々が続きました。彼は、「こんなことをしたら、俺を見捨てるだろう」と、これでもか、これでもかと悪さをして親を試します。警察に逮捕された人間との交流もあったり、こんなことが成人するまで続いたのです。しかし、母親がどんなに辛くても愛情をかけ続けたことで、成人してから、彼は、気づいていきました。俺は、愛されたいたんだ、と。

母親は、「あのとき、あの調査員に出会っていなかったらと思うと、ぞっとする」と振り返ります。

 

数年後、納得がいかなかった母親が児童相談所に情報開示請求をしましたが、開示された、その内容に驚いたのです。

何か所も黒塗はされていましたが、いい子であるという記載はあっても、そこに子どもの虐待やネグレクトがあったことを疑わせる記載、どこをどう改善したらいいのかなどに関する記載はなかった。そこにあったのは、一時保護解除後に、親から批判・抗議が来た場合、どう対応するか、親がマスコミに情報提供した場合を想定してのマスコミへの対応、の議論が何度もあった記載でした。そして、その対応策として、子どもから手紙を書かせ、親に「同意書」にサインをさせ、自分に非があったことを認めさせるというものでした。

母親は、今でも、あの一時保護はなんだったのか、わからないままです。家族再統合を標榜する児相によって、家族が壊されたのです。

 

児童相談所の闇~闇から抜け出るために何をはじめるか~

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商品紹介

内海 聡 著 B6版220頁  私が児童相談所の本を書いてからもう10年が経とうとしている。私は「その話」を最初に聞いたとき、信じることができなかった。薬害研究の専門家医、医原病治療の専門家としてこの世界の医学の問題、また社会の不条理に関しては数多く接してきた。そんな私でも「その話」を最初は信じることができなかったことは懐か…

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