◆健康長寿の五原則

※私は、森下敬一先生の組織の出版部にいたことがあるが、そのときに学んだことをまとめてみた。

◆健康長寿の五原則

長生きしている人は一般に、
第一に体格としては割合小柄で、そして痩せ型である。性格は真面目で温厚。
第二に生業としては、農業。自分が食べるものは、自分で作る。そして自給自足をはかる。したがって、主食の穀物と野菜が中心になる。肉類はお祭とか結婚式、葬式というような冠婚葬祭に限ってご馳走として少量食べられる程度に抑える。唯好品として酒やタバコなどは、適量を適当にとっている。
それから、一生涯を眺めてみると、生まれた土地をあまり離れない。そして農業に勤しんで、数世代の大家族を構成する。また伝統と習慣を固く守り続ける。
こういうことを百歳長寿者の方たちはきちっとやっておられた。したがって、世界的な長寿郷の長寿者は、土地、食べ物、そして人、それぞれの間において生態学的な生命連鎖が完全に成立していたようである。
とはいえ、そのような生活は、日本ではできない。
そこで、今日本に住む人が元気で長生きするための処方箋として、参考までに身近なところで普段心がけるべき事柄をまとめてみた。
人によって、できることできないことがあるので、これを参考にそれぞれの立場で健康長寿の家庭訓のようなものを作ってみるのも良いだろう。
 

【原則一】その土地のものを食べるー身食土不三(地理的条件)

 
「フード(FOOD)は風土」というキャッチフレーズを使う人もいる。生命というものは、「環境(風土)の産物」である。生命あるものは、環境(風土)のあり様に、即ち、自然にうまく対処していかなければ到底生き抜いてはいけない。それぞれの風土の中で人間は生かされているわけだから、食の面でもそれぞれの圏内でまかなわれているはずである。そして、人間の身は死ねばそこの土に帰る。
身と食と土は、運命共同体を形づくっているわけです。その循環の中に納まっていることによって、はじめて生命活動は本来あるべき姿に保たれるわけだから、真の健康が得られることになる、という考え方である。
つまり、身食土が一点に集約されたところに真の健康と長寿が生み出されるわけだから「身食土不三」といえる。
 現代生活の中でできることは、食物を選ぶ場合に、その土地で採れる食べ物を土地いることが最も無難ということである。できるかぎり、国内産、とりわけ身近な地域の産物をより多く活用する、時節はずれの食品や促成栽培の食品を極力避ける、といったことを心がけるとよい。日本に住みながらアメリカのものや南洋のものなどを食べることは、出来るだけ避ける必要がある。
 

【原則二】旬を食べる(季節的条件)

 
 生命は、「環境(風土)の産物」であることが【原則一】で述べたとおりだが、季節、つまり季節の旬の物というのも、風土の産物である。つまり、旬のものは、その季節の恩恵であり、逆に言えば、その土地にいる者が摂ったらいいものを多く産出しているのであるから、それは十分に受けるのが、体にとってもいいのである。
 人類・動物・植物すなわち、あらゆる生命現象は、その環境、風土の産物である。私たち人間は、“生活しているその土地にできる、その季節のもの”を、“正しく”食ベる事が、心身の健康の大条件である。これが「身土不二の原則」。
 人の体は、長い年月をかけてその自然環境と共生できるように適応化を図ってきている。身体と風土は不可分な関係にあるとする「身土不二の原則」からいっても当然のことである。自分が生まれ育った土地に産出する食材が、自分の体にはもっとも適している。現代人といっても、その身体構造は数千年にわたってその土地の食材(地のもの)で形づくられてきた祖先の血を受け継いでいるのであるから、人間の生命と土地とを切り離して考えることは実に愚かしいことである。
 「身土不二の原則」とは、日本の食養学の草分けである石塚左玄(1851~1909年)の唱えた言葉である。石塚左玄は、『化学的食養長寿論』などの著書を著し、明治中期に食養による健康づくりを推進してきました。彼の主張を一言でいうと、できる限り、自分の住んでいる地域で収穫された食べ物を食することが健康の大本である、ということになる。
 今、全国各地のスーパーやデパートには、世界各国、各地から輸入された食材が溢れている。また、イタリア料理がブームとときに、ある農家の人に聞いたのだが、イタリアから種を仕入れてトマトを作ったとしても、日本ではイタリアの風土で育ったトマトの味にならないそうである。バジルなんかも、香りが簿くなってしまうと言っていた。食べ物は、土だけでできるわけでなく、水や空気、温度や湿度など環境風土で育っていくものだかである。
 人間も同じではあろう。なぜなら、その土地の土質、水質、気候などの中で育った食べ物を食して成長していくのであるから、人間の身体もそれに即した生理をもっていくことが合理的であり、無理がない。科学的な分析では変化がないとしても、食べ物も生き物ですから、環境に応じた変化があると考えるべきである。
正しい食事の基本は、地のものを、旬にいただくこと。
 つまり、日本で生まれた日本人は、せめて日本の国土で育まれた食材を季節に応じて食するのが、健康になるための基本なのである。風土や食習慣が異なる海外から輸入された食べ物は、原則的に日本人の体に合っていないと考えるべきである。
 

【原則三】食べ物は丸ごと全体を食べる(生物学的条件)

 
食べ物は丸ごと全体を食べることが原則である。
栄養のバランスをとることが大事だということがよくいわれます。確かにそのとおりで、体が生命活動をスムーズに営んでいくためには、栄養物質を過不足なく、摂らなければならない。
ただし、それはきわめて複雑微妙なものだから、どの成分をどれだけと人間の頭で考えて取りそろえていく、などということはとうていできない相談である。それでも、栄養のバランスをとることは健康に生きていくための鉄則だから、どうしても実現させなければならない。
こうした一見まったく矛盾するような事柄を、みごとに解決する方法が一つだけある。
それは、自然の手に委ねることです。
 広く自然界に目を転じてみれば、野生のトリやケモノ、そして植物といった生命ある者たちは、みんな健康に生きている。それぞれ、完全にバランスがとれているからこそ、健康が保たれているのである。彼らもすべて食物によって生かされており、その食物の栄養のバランスがとれているわけである。
 トリやケモノたちがカロリー計算をしているわけはない。
 彼らの食性にしたがって、「自然のもの」を食糧としているのである。自然のものであり、かつ体の自然性(食性)に合致した食物をとりさえすれば、おのずと栄養のバランスはとれる・・・もの。生命の世界のカラクリは、そのように仕組まれているのである。
 ただ、人間の場合は、本能のままに・・・よいうわけにはいかなくなっているから、知恵によってさぐり当てたいくつかの原理に従って、自然の食物を利用していく必要がある。
 その原理の一つが、「全体食を心がけること」こと。
 可能な限り、生きているものの全体をとるようにするのである。例えば、大根なら根だけでなく葉っぱも利用する、そして根も皮ごと煮たり、おろしたりする。魚も身の部分だけを食べるのでなく、骨も皮も頭もシッポも丸ごと食べる。部分部分はそれぞれに成分組成が異なっていてバランスがとれていなくても、全体を食べると、完全なバランスがとれるのである。
 だから主食も、白米や白パンではなくて、胚芽や表皮部もすべて含んだ玄米や黒パン(全粒粉パン)でなければいけません。
 魚も、全体を丸ごと食べなければならない。となると、必然的に小型のものになってくる。イワシの丸干し、ホタルイカ、イイダコ、サクラエビなどは理想的食品といえる。
 このように個々の食品について全体食をすると同時に心がけるべきことは、食生活全体をも全体食にしていくこと。つまり、植物を全体食する。主食として花(その結実としての種)である穀物をとり、副食として根菜と葉菜をバランスよくとっていく。そして、陸地から雨で洗い流されたミネラルは海水に溶けこんでいるから、それをしっかりと受けとめている海産物(海藻および小魚介)も補足していけばいいのである。
 

【原則四】食事は、一日二食が理想である(生理学的条件)

 
 食事回数はたいてい一日三食だから、朝食抜きにすれば一日二食となる。まさしく、一日二食にするのが、健康にとって理想的な食事である。
 もちろん、時間的な都合で、昼食抜きの朝と夕の二食にしてもかまわない。またもし、三食にする場合も、あくまでも原則は二食であることを念頭においておくことが大事である。自らのライフ・スタイルと、体調とを考えながら、自分に一番合ったやり方を見つけていけばいいのである。だが、その場合も、体調とか、自分の判断とかだけを出発点にするのでなく、医学理論的にも臨床的にもしっかりと確かめられてきている、より望ましい食事のとり方という原則に沿っていきたい。
 人間の感覚というものは、あてにならないところがあるからだ。とくに誤った食事をしている人ではその傾向が強いから、十分に注意する必要がある。まず原則を知って、それを応用していくという手順がどうしても必要になるのである。
 いずれにしても、一日二食が、人間の生理の自然性に最もかなった食事のとり方なのである。それなのに、どうしたわけか一般には、一日二食にすると太る・・・などというとんでもない間違った見解がまかりとおっているのだから、困る。
 実際に、実践してみれば、食事の絶対量は一日二食にしたほうが確実に少なくなる。一食分を少し多めにとったとしても、一・五回分をいっぺんにとることなどまずない。ましてや、来る日も来る日も毎回そういうとり方をすることなどまずできない。
 むろん、腹八分目がいいことは、健康づくりの鉄則であるし、内容的にいい食事なら少し不足気味のとり方のほうが、代謝が活発になって、栄養効果が十分に発揮されるので、極力少食を心がけたい。
 人間の体は、もともとが貧血体制に出来あがっている。血液は、体重の約13%しかない。この血液で、全身の体紬胞に栄養分や酸素を送りつけなければならない。だから、その作業をいっぺんにやることはとても無理。そこで、重点主義をとっている。その時どきで、とくに盛んな活動をしなければならない組織・器官に、優先的に血液を回すのである。そういう融通をつけて、全身の機能を支障なく働かせている。
 だから、眠りから覚めて、さあ活動を開始しようというときは、脳のほうにより多く血液を送っていく必要がある。脳と消化管とは、大局的にみると、シーソーのような関係になっている。腹がふくれると、脳や神経の働きはゆったりして休息をとりたくなる。眠くなるのもそのせいだ。逆に、腹がカラッボだと、頭は断然、冴えてくる。こういう現象は、血液の移動にともなって起こっているわけだ。
 また、朝、おなかをカラッポにするということは、体質をよくする上でも、きわめて大事である。朝は、ちょっとした飲食物で刺激を与えると、腸の蠕動が一番活発に働くときだから、腸内の老廃物を一掃できるチャンス。便秘は万病のモトなのである。
 というわけで、私は、いい仕事をしたいと望んでいる健康な人にも、慢性病を早く根治したいという人にも、朝食抜きを推めている。せいぜい、朝は便通のキッカケをつけながら、体質改善を促すフレッシュ・ジュースや、薬草茶や味噌汁などをとるぐらいが最良である。
 もちろん、一日としては必要な食事をとらなければならない。
 

【原則五】知識を捨てて体を信用する(個人的条件)

 
 最も大切なことは、体質やその時の体にあった食べ物をとることである。体質を大別すると、陰性体質と陽性体質に大別できる。しかし、その見分けや単純にどこかで線が引けるというものでもない。
 では、どうするかというと、
「知識を捨てて体を信用する」ということである。
 動物は体を壊したときにどうするであろうか。絶食したり、自分で選んだ草を食べたりして、治す。動物は、自分の体に何が必要かを知っているのである。人間も動物であるから本来は同じである。しかし、人間には変な知識や観念があり、体が必要としている食べ物の情報を邪魔している。
 そこで、頭を信用しないで、体を信用するのである。つまり、自分の体の欲するものだけを食するのである。何も欲しないときは、欲するまで何も食べないのである。絶食はマイナスの栄養を与えると考えるのである。下手な頭の情報よりも自分の体の情報の方が正しい情報なのである。
 しかし、一つ注意したいのは、「体を信用するぞ」だ心に硬く決めて、買い物に行かないと、頭に振り回されて、逆に混乱することもある。特に、空腹時での買いものには注意したい
 

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