◆ガダルカナル島の戦い

◆「父二郎の生きた道」ガダルカナル島の戦友のもとへ

 

「俺が死んだら、遺骨をお婆ちゃんのお墓と戦友の眠るガ島に散骨してほしい」

2007年に89歳で他界した父 釣部二郎は、
第二次世界大戦中にガダルカナル島の戦いを生き延びて奇跡的に帰還を果たしました。

今年の5月で親父の生誕105周年、もうこんなに時間が経ったのかと思う。

他界したのは長男が小学校1年生だった。

その長男も22歳になった。

生きていれば、例年通り、お祝いのパーティを自宅でしていたであろう。

 

ガダルカナル島の玉砕した一木支隊ながら、通信兵だったゆえに残存兵で生還した。

別に有名でも何かを成し遂げた人でもないが、俺と兄貴を育ててくれた。

「俺が死んだから、俺の骨を釣部家の墓にいれ、あとは、ガ島の戦友にのところにまいてくれないか?!」
と事あるごとに言っていた。

6年前の12月に、やっと、ガ島に行き、一木支隊の玉砕した地、イル川の河口に、散骨できた。

翌年には、ガ島での戦没者遺骨収集に参加し、親父の戦友の骨を本国に送還するお手伝いもできた。

強烈だったのは、親父の死に様だった。

こういう死に方があるのか、というくらい、かっこよかった。

肝臓がん末期と分かって退院した後、自ら食事を絶ち、点滴を断って衰弱死を選択した。

「死ぬよ?」

「いいんだ!苦しんだら、モルヒネを頼む」

思い返せば、最期の夜は、ガ島の夜と同じように、雷が鳴り大雨であった。未明には上がり、息を引きった午前5時50分直後、カーテンの隙間から太陽の光が親父に射した。戦友が迎えに来ていたのだろう。

私も死ぬときは、こうありたいと思った。

戦争のことを語った親父の手記がみつかった。

そして、それを万代宝書房で出版した。


親父は、戦争のこと以外は、多くを語ることはなかった。

 

しかし、私が最初の結婚する時に伝えてくれた話は強烈に覚えている。

「いいか、お前のお母さんが死んだ時点で、お前は独りだからな。子どもはお前のものじゃないぞ。母親のものだ。要は、奥さんのものだ。戦争に行ってわかったんだ」

それと同居をはじめた間もなくして、こうも言った。


「いいか、きな臭い時代になった。もはや戦後ではなく、戦前かもしれない。戦争になったら、釣部家末代の恥と言われてもいいから、家族を連れて、海外にでも山奥にでも逃げろ。絶対に戦争の加担をするようなことはするな!」

その時は大袈裟だなと思っていた。

でも今なら、その言葉の深さが分かる。

家系図を作るなかで、父が双子であって、長男の一郎さんは、生まれた日に死んでいたことも知った。

父からは聞いたことがなかった。

父の前妻の名前もわかった。

 

でも、墓にはその方の名前はない。何か理由があるのだろう。 

親父と同居した期間は、7年くらいだろうか?

週に一度は、家族全員が集まるようにして親父とビールを飲んでいた。

ビールは、サッポロの黒ラベルと決まっていた。

まあ、札幌出身でしたからね。

誕生日の夜は、自宅で、静かに、生誕105周年パーティを開いた。

父との同居を、同然のように承諾してくれ、介護をしてくれたのは、前妻である。
心より感謝している。

 

次男が何気に聞いてきた。おじいちゃんの本は売れてるの?

 親父の語った言葉。

「爆弾攻撃のあとは、機銃掃射。そして、機銃掃射のそのまたあとは爆弾。爆風で、俺の鼓膜は破れたんだ」

 

「死の行軍だったんだ!」


「俺の帰国は、奇跡だったんだ」


「日本兵は、米兵に殺されたんじゃない。我々は大本営に見捨てられたんだ。みんな病死か、餓死だ!」


「地図もなく、どっちをむいて歩いているのか、よく判らなくなった。踏み跡がなければ、ジャングルのなかでだろう、一日二百メートルも進めなかったこともあった」


「いたずらに日数はかかり、補給はつづかず、あげくのはて、攻撃は失敗。退却だ」


「米もなければ、弾薬もなかった。海岸線まで戻れる力のある者は戻って、そこで、またもや、激しい空襲。そのうち、敵がそこにも逆上陸して来て、またもや、ジャングルのなかへ退却だ」


「ハンゴウをたく火のケムリが命とりになるんだ。ちょっとでもケムリが上がれば、爆弾と機銃掃射の嵐になるんだ」


「そのうち、米はまるっきりなくなってハンゴウの炊事どころではなくなったが、谷川に水をくみに行くだけでも、命がけの作業なんだ」

(『ガダルカナル島帰還兵が語る!~平和への願い~』より引用)

「あんなことがあったからこそ」

と思えたとき、未来だけでなく、過去も変わる

どんな出来事にも意味がある。

過去の嫌な出来事を

「あんなことがあったからこうなってしまった」

ではなく

「あんなことがあったからこそ、今がある」

と考えられると、未来だけでなく、過去も変わる。

その意味は、後になってわかる。

あの日、あの時、あのことがキッカケだったと。

そう次の世代に伝えたかったのだろう。

昨今は、馬鹿は発言をする国会議員もいるが、風化させてはいけない。

 

晴れた空を見ながら、そう思う。

父 二郎の足跡をたどりながら、
多くの戦友の思いも含めて父 二郎が伝えたかったもの・語りたかったことを、心と体で感じてきました。

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ガダルカナル島帰還兵が語る!~平和への願い~

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商品紹介

釣部二郎、釣部人裕 著   私の父、釣部二郎が八九歳で他界したのは二〇〇七年晩秋のことだった。父は第二次大戦のガダルカナル島(以下、ガ島)から生還した。都合四次にわたる総攻撃をくぐりぬけてのことだった。二郎の「俺が死んだら、遺骨をお婆ちゃんのお墓と戦友の眠るガ島に散骨してほしい」であった。本書には、散骨、その後戦没…

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