◆ある仮説を聞きました。 解離性同一性障害(多重人格障害)
◆ある仮説を聞きました。
解離性同一性障害(多重人格障害)
あっているかどうかや、反論は私に訊かないでください。
本能と理性いふ区別がある。
心臓などの人間の臓器は、理性の働きではない。
これは本能の働きである。
理性で心臓を動かすことも止めることもできない。
本能が劣化し滅びることになれば死に至るだけである。
本能と理性は、峻別できるものである。
そうすると、霊は、本能と理性のいづれに根差しているのか?
怨恨、嫉妬、妄念などは、理性によって生まれてくる。
これらの悪霊は理性の産物である。
ところが、家族の安寧や民族の繁栄を祈る心は、本能原理によって生まれる。
これは本能に根差す。
要するに、悪霊は理性、善霊は本能の発露といえるであろう。
本能が劣化すると、理性の塊になる。
生霊が離脱した人は、生命力が弱まる。
臨終間際ではなくても、生きる気力、生気が無くなっていく。
すると、生体が存続することだけを願ふ個人主義に陥いるしかない。
生命力が弱まると、どうしても内向きになる。
それまで世の中のことを考へてきた人でも、内向き志向になると、
そんなことは、もうどうでもよくなるのが一般的である。
これを批判することはできない。
自己の命を捨てででも何かを成し遂げたいと思う心がなくなつてしまう。
本能の働きは、自己保続本能が強い。
それ以外の高次の本能が働かない。
それは、典型的な個人主義である。理性の塊になり、
祖先を思う気持ちや敬うの心がなくなる。
本能が劣化すれば家族主義、民族主義を捨てて個人主義になる。
逆に、そのやような生霊を外に放出する。
その人は、生霊が離脱していることの自覚症状がない。
解離性同一性障害(多重人格障害)は、精神疾患ではなく、
生霊が離脱したり戻つたりすることが繰り返へされる特異な臨界現象である、
ととらえている。
※この仮説を聞いて、親祖先を敬うことは重要などだと改めて重要だと思った。
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