◆広陵高校の辞退について思うこと
◆広陵高校の辞退について思うこと
暴力行為をめぐり第107回全国高校野球選手権大会の途中で出場を辞退した広陵(広島)高校。
この件について、いろいろなことが言われている。
野球部の寮でカップラーメンを食べてはいけないルールがあり、ルールを破った1年生に上級生が注意をした。その注意が暴力行為であった。いかなる理由にせよ、暴力はあってはならない。しかしこの時点で広陵高校は県高野連を通じ、高野連に報告し、関係者の厳重注意で一見落着している。3月のことである。それが甲子園に来てからSNS等で話がぶり返され。1回戦は出場したものの、2回戦は辞退した。
外部がこれみよがしに批判すべきではない。
私は批判ではなく、この件について。元高校教師として私見を述べたい。
1,時代が変わってきている
2,教育か、競技なのか?
3,SNSの普及
の3点からである。
1,時代が変わってきている
簡単にいえば、昔は当たり前、仕方がないとされてきたことが今の時代は通用しないことがあるが、その変化に、指導者や選手がついていっていないということである。
例えば、大相撲での、可愛がり、しごき、暴力、賭博、星取引など、以前は、よくあったことだったことが時代とともに社会では問題になってきているのに、その業界、団体、選手の中では、その変化についえ行けていないことがある。
これは、親子、教育の現場、スポーツ指導の現場、バトミントンや野球や他のスポーツの現場でもあることである。
問題になったとき報道されるが、自分事とせず、「対岸の火事」のごとく観ていること、指導者側が選手の時代は、それが当たり前だったことに起因するであろう。
問題になったとき報道されるが、自分事とせず、「対岸の火事」のごとく観ていること、指導者側が選手の時代は、それが当たり前だったことに起因するであろう。
2,教育か、競技なのか?
表向きは、教育だといいながら、実は、競技を優先している種目や学校や団体があることである。特にプロがある種目では、その傾向が強い。
私の経験で、すごい指導者がいた。
私が高校生のときから、すごい監督(高校教師)がいた。自分が高校生の時は、ライバル校の監督としてしか見ていないかったが、自分が高校教師になったときからは、憧れの先輩、理想の監督となった。私は、練習試合や合同練習をしてくれるなどかわいがってもらった。
その先生が5連覇がかかった試合で、エースを外した。ケガかな?何かあったのかな?ともっていた。結局、決勝でその学校は破れ、5連覇を逃し、団体でのインターハイは出場できばくなった。
私は、しばらくたって、その先生に「なぜ、あのとき外したんですか?」に訊いた。
「お恥ずかしい話です。私に監督不行き届きです。実は、宿舎で隠れてタバコ吸ったんです。だから、外しました」
「先生、その場でピンタはって、叱って出させることはでいなかったですか?
「それも一瞬考えました。でもね、釣部先生、僕は教育をしてるんですよ。これで出場できたら、彼は将来どうなります? ルールを学んでも表に出なければ何とかなる、ということを学んでしまいませんか? さらに、後輩たちは見ています。彼らに、人生の厳しさを教えてあげないいけないとも思うんですよ。」
「そうですか?でも5連覇ですよね」
「私の力不足です。すみませんでした」
そういうって、若造の私に頭を下げたんです。
そのとき、この先生の生き様を観ました。
後で聞いたのですが、私にライバルだったエース選手が、全国大会で1回も使ってもらえなかったそうです。理由は集合時間に5分遅れたからだそうです。
「一生忘れませんよ。ハレの舞台に出れなかったんですから。僕出ていたら、上位進取できたかもしれなかっです。先生に教えられました。でもね、帰ったから、僕は先生に一番声かけられたと思います。見守ってくれていました。先生は、厳しいだけじゃないです。」ろ彼は言いました。
暴力をした生徒にばかり注目が集まっているが、寮のルールを破った生徒への指導はどうなったのか?その点の報道がない。
もともと、寮のルールを破っていなれば、この件に限定すれば、事件は起きていない。
暴力が常態化していたとすれば、また別な問題である。
3,SNSの普及
加害生徒がSNSがさわされているようである。爆破予告もあるらしい。
SNS等で正しくないこと、事実でないことが先行し誤解があってその誤解が拡がっていないか心配である。個人攻撃は止めていただきたい。卑怯なことは止めていただきたい。
結論
現時点の報道で知る範囲であるが、
私が監督なり、校長であったら、どう対応したかであるが、
・ルールを破った生徒を何らかの指導をする。
(停学になるのか、退寮になるかは、別熱な指導かは、寮規則や校則によるが…)
・暴力振るった生徒は、何らかの指導をする。
(停学になるのか、退寮になるかは、別熱な指導かは、寮規則や校則によるが…)
・ルールを破った生徒(事情によるが…)、暴力振るった生徒は、予選の選手登録をしない。
(予選で登録しないで優勝した場合、選手を入れ替えることは考えていない)
・監督、寮長に何らかの指導をする。
なぜなら、高校野球も教育と考えるからだ。
一生懸命練習し、甲子園を目指し念願が叶い1回戦見事に勝利した他の選手たちを思うと、うやむやにした出場辞退では選手が可哀想だと思ってしまう。
教育ではなく、競技として考えるならのなら、高野連がOKだしたのであるから、辞退すべきではないと思う。
現象だけを見ると、何を選択しても苦渋の選択である。
でも、こと本質は、ココにはないと思う。
教育なのか、競技なのか?
ルール違反に毅然と立ち向かうのか?
何を生徒たちに伝えたいのか?
教育とは何か?
競技とは何か?
ホンネとタテマエ。
その狭間に生きる、指導者、選手、親たちには、パンドラの箱が開く結果になるのかもも知れない。
関係者の観点変更が必要だと思う。
関連情報