【中編】7人の証言から読み解く“真相と嘘”
【中編】7人の証言から読み解く“真相と嘘”
『藪の中』は、なぜこれほどまでに人々を惑わせるのでしょうか?
それは、この物語が「誰の証言も完全には信用できない」という、現実世界にも通じる厳しい真理を描いているからです。
盗賊・多襄丸、武士・金沢武弘の妻・真砂、そして亡霊となった武弘自身…。
この中編では、7人の証言に隠された“嘘と真実”を、元検事の視点で読み解きます。
『藪の中』の真犯人は誰なのか? それとも、犯人探し自体が無意味なのか──。
【考察1】事件関係者7人の証言──真相は語られたのか?
多襄丸はなぜ「自分がやった」と語ったのか
盗賊・多襄丸は、自らを「誇り高き悪党」として語ります。
彼は武士を殺したことを潔く認める一方で、自分の名誉と誇りを守るために、あえて「自分がやった」と証言しているようにも見えます。
これは、いわば“名誉ある嘘”とも言えるものでしょう。
多襄丸の証言は、彼自身の美学と虚栄心が作り出した「物語」であり、真実ではありません。
実際の刑事事件でも、虚勢を張る被疑者が「自分がやった」と語ることは珍しくありません。これは“虚勢供述”と呼ばれ、自己イメージの防衛や誇示のために行われるものです。
真砂の“懺悔”は真実なのか、それとも計算か
武弘の妻・真砂は、自らが夫を殺したと告白します。
しかし、その告白には「私は可哀そうな女だった」という自己憐憫と、「私は潔い女」という自己演出が透けて見えます。
真砂の証言は、自らを“哀れで強い女性”として演出し、世間の同情を引き出す意図すら感じられるのです。
心理学で言う「被害者意識の強調」と「逆説的自己正当化」の典型例です。
つまり、彼女の告白は懺悔ではなく、巧妙な“自己防衛”だったのかもしれません。
武弘の死霊は何を語り、なぜ自害を選んだのか
死者であるはずの金沢武弘の霊までもが、「自分は自害した」と語ります。
しかし、自殺に至った理由ははっきりしません。
ここで重要なのは、「死者の証言」ですら矛盾を孕んでいること。
これは芥川が意図的に描いた、「死者ですら、自分の死の真実を語れない」というアイロニーではないでしょうか。
もはや、『藪の中』の真実は、どこにも存在しないのかもしれません。
【考察2】証言はなぜ食い違うのか?──心理と法の視点から
自己保身と自己正当化の心理
人は、無意識のうちに「自分が悪く見えないように」物事を語る傾向があります。
これを心理学では「認知的不協和の解消」と呼びます。
多襄丸は「自分は男らしく潔い」と語り、真砂は「私は被害者でありながら強い女性だった」と語る。
それぞれが、自分にとって都合の良い“真実”を語っているだけにすぎないのです。
「告白」は必ずしも真実ではない
刑事事件においても、自白がすべて正しいとは限りません。
取調べの心理的圧力や、自己防衛本能から、嘘の自白や誤認供述が行われることは珍しくないのです。
『藪の中』の登場人物たちの告白は、現代の「誤判」や「冤罪」問題にもつながる重要なテーマを投げかけています。
【考察3】元検事が読み解く「物的証拠不在」の意味
現代の刑事裁判では、物的証拠がなければ有罪判決は困難です。
しかし、『藪の中』ではそもそも証拠の提示すらありません。
証言だけが渦巻き、真実は迷宮の奥へと消えていきます。
これは、「証言だけでは真実は見えない」という厳しい現実を、文学的に表現したものではないでしょうか。
結局、芥川は「人間の語る言葉は、どこまで行っても主観の壁を超えられない」という冷徹な視点を提示しているのです。
『藪の中』の真相を追い求める旅は、結局「人間そのものの迷宮」に迷い込むことなのかもしれません。
次回は、いよいよ芥川龍之介がこの物語に込めた“最後のメッセージ”に迫ります。
あなたはこの謎に、どんな答えを見つけましたか?
関連情報
幸せの知恵の宝庫 〜世の中に出ていない本質的な情報をお届け〜|万代宝書房
【万代宝書房】では哲学、思想、健康、刑事司法など、他では聞けない著者だけが知る本質や真実を伝える本を取り揃えております。著者の魂の叫びを時間と空間を超え、受け取りませんか?誰からの情報を受け取り、誰と繋がりたいですか?広く浅く読者に媚を売るような書籍を万代宝書房は出しません。少人数でも深く真実・核心をしたい方に著者の思いを伝えたいのです。万代の宝である、著者の持つ知恵を手に入れてください。
屋号 | 万代宝書房 |
---|---|
住所 |
〒176-0002 東京都練馬区桜台1-6-9 渡辺ビル102 |
営業時間 | 9:00〜17:00 |
定休日 | 不定休 |
代表者名 | 釣部 人裕 |
info@bandaihoshobo.com |