◆私の好きな映画「フィールド・オブ・ドリームズ」「それを作れば、彼がやってくる。」
◆私の好きな映画「フィールド・オブ・ドリームズ」
この映画のなかの、というキーワード。「それを作れば、彼がやってくる。」

それを作れば、の「それ」とは、私が今生の人生で、何の為に生まれてきて、何をやりに来たのかということ。
私は、人には必ず、それぞれ個人のビジョンというものがあると思っている。
映画の中でキンセラーが野球場を作ったように、各個人にはその人だけの、生まれてきた目的というものがあるはずだと。
一口にビジョンと言っても、その社会的な見方は、時代の移り変わりによって、大きく変わる。
たとえば、戦前のビジョン。
それは個人にではなく、国。日本という国が、一つのビジョンで動いていた。
「富国強兵」国が富むには、兵隊が強くなければならない。
男の子は、大きくなったら兵隊さんで、お国のためにつくして、死ぬ覚悟で戦う。
女の子は、一日も早くお嫁に行って、たくさんの子どもを産んで、兵隊さんを育てる。
特に女の子なんかは、生まれたその日からお嫁に行く準備。だから、「お嫁に行けないわよ」という言葉に、ちょっと大きな口を開けて笑っていた女の子の誰もが、口を閉ざした。それだけで、どんな女の子でも黙ってしまった。なぜなら、お嫁に行けないということは、すなわちビジョンを生きられないということだから。
人はビジョン生きないかぎり、生きてはいれない。だから女の子は、お稽古ごとといったって、全部お嫁入り道具。お茶を習おうが、お花を習おうが、すべてお嫁に行くため。そして、子どもが産めること。子どもを産むためにお嫁に行く。
国のビジョンを生きていたから、疑う余地がなかった。生まれる前から、ビジョンは決まっていた。自分の人生に疑いがなかった。
そして戦争が終わり、ビジョンは大きく変わった。
国のビジョンから会社のビジョンに移行した。
いわゆる、会社命。会社に利益があれば、自分は豊かになれる。裏付けは、終身雇用制。
ひとたび就職すれば、終身。また年功序列。辛抱していれば、十年後は課長。そんなふうに。保証があった。
だから進学でも、就職するため、いい会社に入るために、いい大学に行く。いい大学に入るために、いい高校、中学、小学校と、選んでいく。
仕事の内容よりも、どこの会社に勤めているのかが、問題。
だから、就職ではなくて、いわゆる就社。そして名のとおった、大手の会社ほど、毎年のように仕事がかわる。
辞令というものがあって、毎年のように転勤がある。
それが、ある意味で勲章だった。エリートの条件だった。
北海道であろうが、九州であろうが、外国であろうが。どこへでも行く。
なぜなら、会社が栄えたら、私たちは幸せになれるのだから。
「仕事だからしょうがない」。この言葉は、まさに泣く子も黙る、天下御免の言葉だった。
そして現在。
終身雇用制は崩壊、年功序列も崩壊。年金ですら、もらえないかも。
そして、誰もが知っているような、名のとおった会社が、信じられないような減収減益。
世の中は、バブル崩壊の後遺症といっているが、実はもっと根の深いところで、大きな変化があった。
つまり、ビジョンが大きく動いた。
人々は、私の本当の役割というものはなんだろう。
そんな自分というものを見つめはじめた。
いわゆる個性の時代を迎えた。
私そのものを、見始めた。
ビジョンが国から会社に移って、あなた自身に来たから。
自分の人生で、自分が本当にすることがしたい。
そんな個人のビジョンが求められる時代になってきた。

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