◆『過去を負う者』を観て
◆『過去を負う者』を観て
舩橋淳監督(主演:辻井拓、久保寺淳)
社会派というか、リアルな現実の映画だ。
この映画を観て、ちょっと精神のバランスを崩している。
クライマックスの何分間のやりとりは、すごくて、演技なのか本音なのか、わからなかった。
マイナスではないが、この映画の中に出ているシーンというか、セリフというか、それと自分の体験とオーバーラップし、今までなんとなく思っていたことや、何でそこまで言われなくちゃいけないんだ?と思っていたことに納得がいった感じである。
冤罪被害者は、冤罪を晴らすまでは、犯罪加害者である。
先日他界した布川事件の桜井さんは、
「無罪を勝ち取ったって、俺を犯罪者と思っている人はたくさんいるよ。一度貼られたレッテルは、そう簡単にははがれないよ」
と言っていた。
私も過去に冤罪事件に巻き込まれ、その後再就職しても、「会社を乗っ取りに来た」「気持ち悪い」「あの人、犯罪者を支援している人でしょ」「あんな人とは一緒に仕事ができない」などと言われて、何度か解雇されたり、退職したりしている。
某進学塾では、「あなたには、全く問題もない。だた、あなたが人気講師になり、保護者があなたのことを調べて、過去の記事が出てくると、それが真実か虚偽かは別として、担当をはずさなくてはいけない。偽名で講師を継続しないか?」とも言われた。
嬉しい申し出ではあったが、「私は間違ったことをしていないし、逮捕もされていないし有罪でもない。隠れて生きていくことはしたくない」と言って、涙ながらに退職をした。
参考人として呼ばれたが、私は犯罪者でもないし、逮捕もされていないし、被疑者でもない。
内部にいたから、冤罪だと知っていたから、無罪を主張し、裁判で争っただけだ。他には、本も書いたし、HPも書いたし、マスコミの取材を受けた。
ある意味、それだけのことだ。
映画に出てくる人たちは、放火、殺人、覚せい剤、強制わいせつなどを過去に犯した人だ。
犯罪加害者が服役して、社会復帰しようとしているのに、社会が彼ら彼女らを受け入れず、排除しようとする。
彼ら彼女らを支援している人までを、排除しようとする。
「あなたたちは一線を越えたでしょ。私たちは超えていない」
「再犯しない保証はどこにあるの?」
「被害者の気持ちはわかるの? 償いなさいよ」
「私たちの社会になかにいると思うと、怖いのよ」
「何となく、気持ちが悪いのよ」
などの声を、勇気を出して、過去の罪状を声にして、必死に生きていこうとする人たちにぶつける市民。
「償いきれないこともあります」
「私たちは一回罪を犯したら、どこかに隔離されて生きていかないといけないんですか?」
「そんな場所があったら教えてください」
「ないから、この社会の中で生きていくしかないんです」
「ただ、穏やかに生活したいだけなんです」
などと犯罪加害者たちは心の叫びを絞り出す。
「(あなたが望むように隔離施設に入れるなら)隔離した方がお金がいっぱいかかるんですよ」という経済的側面のセリフもあった。
現在でも、私の友人には、釣部と付き合いがあるのか?と怒られる人もいるようだ。釣部が存在している組織は大丈夫なのか?と言われる人もいるそうだ。
私は、犯罪加害者家族のような存在なのである。
やめようと思えばやめられたけど、冤罪と知っていて、自分だけ関係ないとして生きていくことは出来なかった。
その結果、娘と生き別れになることになったが…。
私は、「和歌山カレー事件」は冤罪だと思っていて、支援していると、
「なんで、あんな極悪人を支援するんだ。被害者の思いを知っているのか?」
「お前は、頭がおかしいのか?」
などとメールが来るときもある。
もちろん、「頑張ってください!」という励ましのメールもいただくことがあるが…。
まだ、決定はしていないが、もう1件、放火殺人罪で冤罪を主張している方の支援をするかもしれない。
刑に服して出所した人には、平穏に生きる権利はないのか?
でも、市民の声も理解できる。
確かに、隣の部屋に、過去に殺人をした人や性犯罪を犯した人が引っ越して来たら、再犯しないだろうか?と私だって不安になる。
途中、「犯罪を犯した人にも、事情があるのです」と理解を求めるセリフがある。
私の中で、冤罪被害者と犯罪加害者とは違うと思って生きてきた。
しかし、社会では、冤罪被害者と犯罪加害者も同じなのだ。
そのことを、この映画は私に観せてくれた。
私が過去に受けた、私が思う冤罪被害は、
社会から見れば、犯罪加害者に向けた不安や怒りだったと思えば、理解できる。
そこでいくつかのことを思った。
・多くの刑事裁判では、犯罪事実は扱うが、事件の背景までを十分に扱うことはできていない。
・悪い人や犯罪者として生まれてくる人はいない。だとすると、家庭や社会が犯罪者を生み出している。
・一番最初に整えなくてはいけないのは、家庭、さらに言えば、夫婦関係ではないのか。言い換えれば、子どもが育つ環境でないのか。
・犯罪被害者を支援する組織がもっとあっていい。
・犯罪加害者家族を支援する組織があっていい。
もっと、色々なことを思ったが、今は書けない。
映画では、刑事司法弱者である、出所者に職業を斡旋し、社会復帰を支援する組織をモチーフにしていた。
私は、現在もこれからも、犯罪加害者と思われている、冤罪を主張する再審請求弁護人を支援していく。
叶わないかもしれないが、寄り添って、併走することはできる。
終了後、監督の対談があって、リアリティを出すために、どういう撮影方法をとったのかのネタ晴らしがあって、なるほど?!と思った。
絶対、勧めの一本です。
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