◆不登校能力は素晴らしい!

◆不登校能力は素晴らしい!

 
(「減る登校児」という見出しで記事を書いてみたらいいのでは…)
私は、親の口コミで「不登校児の家庭教師」を何年間もやっていました。
家庭教師を引き受けて、一番はじめにやることは、
親と徹底的に話すことです。
 
私は、まず最初にこう言いました。
「お子さんに、学校に行くように強く言うのは絶対にやめてください」
「1年や2年くらい遅れたからといって、何なんですか」
「それくらい待ってあげてください」
「原因の多くは、親にあります。そのことに向き合ってください」
そして、子どもにはこう言いました。
「学校に行きたくないのなら、行かなくてもいいと俺は思っている。だけど、勉強は絶対にしないといけない!とも思っている。勉強は、社会人になっても一生続く。そのための練習が学校なんだ。でも、その練習は俺とでもできる。いいか!勉強は必要だ、学校は自分で決めろ!」
 
そして、子ども好きな勉強から始めていきました。
 
教科書や問題集をやるときもあれば、新聞やニュースを使うこともあります。
運動をすることもあるし、お話だけでおわることもあります。
私は、学校に行かない、不登校というのも「能力のひとつ」と捉えています。
学校に行かないということを主張できる能力をその子供は持っている。
学校に行くことを拒否している。
 
親の理性で考えると、
「学校には行かなければ行けない」
「学校に行かないことは、悪いこと」
です。
 
頭ごなしに「学校に行け」では、子どもは反発するし、
学校に行っても喜びはありません。
 
学校に行くことが、その子どもにとって最善の道なのか?
子どもが学校へ行くことで、うれしいのは誰か?
親が安心するだけで、子どもにとっての喜びはあるのか?
 
学校に行かなくて困るのは、親です。
「15歳までは、中学校へ行かなければいけない」
という常識の中で、異和感を感じ、声を出して、態度で
 
「学校へ行かない」というのは、
「自分の気持ちを素直に言えるなんてすごい!」ことだと思いませんか?
 
今の時代、書店に行けば、本があふれているし、PCで検索すれば、いくらでも情報が入手できます。
 
紙のない、情報のないときには、
「国をまとめるためにはこれぐらいの基礎知識が必要です。」
と国定教科書は必要でした。
 
今は、教科書を文科省が国定教科書なんかをつくる時代ではないと思います。
 
今の子どもたちは、賢いです。
損得勘定もできます。
 
最近の不登校だった子どもの多くは、
私たちとは、違う次元で考え、疑問を持っています。
学校という枠では生きていない。
でも社会は、そうなっていない。
自信喪失しているようにも思います。

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