不登校は能力だと思いませんか?

◆不登校は能力だと思いませんか?

 

元高校教師の私が言うのも何だが、
学校に行かない、不登校というのも能力の一つだと思う 。

 

「不登校能力」

 

命が学校に行かないと決断した。
「学校に行かないということを主張できる能力」をその子どもは持っている。

命は、生きようとする。
その命が、学校に行くことを拒否しているとしたら・・・。
理屈で考えると、
「学校には行かなければ行けない」
「学校に行かないことは、悪いこと」
ですよね。

頭から「学校に行け」では、子どもは反発するし、
学校に行っても命の喜びはない。

 

何のために学校に行くのかがわからない。

 

今、学校に行くことが、その子にとって最善最良の選択なのか?

 

子どもが学校へ行くことで、うれしいのは誰か。

 

親が安心するだけで、子どもにとっての喜びではない。
学校に行かなくて困るのは、親。
主語は親。

 

「15歳までは、中学校へ行かなければいけない」
という常識の中で、異和感を感じ、
声を出して、そして、態度で
「学校へ行かない」
という

「自分の気持ちを素直に言えるなんてすごい!」

と思いませんか?

その子が、自分の欲求を主張できることを認めてあげる。
法的言えば、意見表明権の保障

 

その上で、自分自身に問いかけさせる。
1.将来どんな人間になりたいか?
2.将来どんなことをやりたいか?
3.将来どんな生活をしたいか?

 

そのために今、何をすればいいのか、を一緒に考える。
簡単に答は出ないし、答が変わることもある。
1.やってみて、好きなことはなにか?
2.やってみて、興味関心が持てることはなにか?
3.やってみて、得意と思えることはなにか?
4.やってみて、他人よりうまくできることはなにか?
5.真剣にやってみたら、問題意識・創意工夫が湧いてくるかどうか?

 

これをを一緒に話して考えてみるのもひとつの方法です。
「やってみる」こと。
見ているだけではダメ、体を使ってやってみる。

◆私は、不登校について、それを能力とらえている。

 

きれいごとでなく、

なぜ、私がこう思うようになったのかをシェアしようと思います。

 

背景として私のこと少し書くと、

私が子どもの頃は、皆勤賞とまでは行かないが学校が楽しかったし、

勉強も面白かった。まあ、優等生の方で、そのまま大学までいきました。
その後、高校教師を10年間勤め、退職。

定時制高校やいわゆる教育困難校、全日制普通高校と3つの学校で勤務しました。

 

ドラマにでる熱血教師をイメージしていた、エリートのラインで来た私は、

最初の2校で、教師としての挫折を味わいます。

 

教科書が読めない子、授業に来ない子、1時間ジッとしてられない子などいろいろ。

 

日本語が通じない?! 
そんな思いもしました。

 

1年目のある研修会である先生の出会い、
「それは私の問題なのだ。生徒の問題ではないのだ」
と気づき、一念発起。

 

徐々に、子どもたちとの信頼関係ができて、

授業も成立するようになりました。
まあ、武勇伝は色々ありますが、割愛して、要は熱血先生で、

本当に生徒と一緒に夕日に向かって走っていました

 

担任を持つ中、「不登校」の子もいました。
当時は、「登校拒否」と言っていました。
「登校拒否」というか「不登校」というかの、過渡期。

不登校のある女生徒が私に言いました。
「先生の気持ちもわかるし、学校に行くのがいいのもわかる。

 でも、行けないんだよね。そこをわかったほしい。

 これ以上、私を追い詰めないでほしい。

 何かあれば、必ず先生に相談するから…。

 私の思いを尊重してほしい。」

 

 私は、彼女の思いが心の叫びに聞こえました。

 

 

「わかった。必ず、何か事を起こす前には、電話をくれよ」

と言い、それ以上、学校に来るようには言わないようにしました。

 

 自殺や家出を想定してのことです。

 

その後、私は、学校と親から、指導力のない先生と非難されることになるのですが・・・。

 同じ時期、男生徒の不登校児も抱えていました。

 

この子は、引きこもりで部屋に鍵をかけて、親とも話をしません。

家庭訪問に行っても、「帰れ!」と一言いうだけで、あとは返事もありません。

 

 ある日、私は勝負に出ました。

 

「てめえ、話くらいしろよ。

 明日もう一回来るからな。

 その時、鍵が開いていなかったら、ドアぶち壊して、部屋に入るからな!覚悟して待っとけ!」

 私は、ドアの前で怒鳴りつけました。
 そして、横にいたお母さんに
「お母さんも覚悟しておいてくださいね」
と子ども聞こえるような声で言いました。

 

 翌日、家庭訪問にいくと、ドアは閉まっていましたが、鍵は開いていました。

 

 部屋に入れてもらい、そこから、少しづつ話をしていきました。

 

 2か月くらいたったある日、彼は学校に来ました。
 そして、何とか卒業して行きました。

 先程の女の子は何回か電話をくれましたが、結局は退学しました。

 

 この2つの経験が私の不登校に対する考え方のベースになっている。
 

現状の教育の枠では、本当の教育はできないと思い、私は教職を去りました。
 

 その後、人生いろいろあって、数年後、知人から、

「子どもが不登校になっているので、相談に乗って欲しい」

と言われました。

 

その子と二人きりで話、
「学校に行かなくてもいいけど、勉強はしろ!」

と伝え、家庭教師をすることになりました。

 

 その後、口コミで何人かの不登校の子どもの家庭教師をし、

みんな1年から2年の間には学校に行けるようになりました。

 原因は、いろいろありますが、いじめというのもありました。

親には、『教室の悪魔』という本を読んでもらいました。

 

もしこれが起きているとしたら、
もし、子ども自身がどこかでこれが起きると肌で感じて、

緊急避難的に学校に行かないとしたら・・・

 

「1年や2年、学校に行かなくてもいいじゃないですか?」
と親に話して、どーんと構えてもらうようにしました。
「親が子どもの味方じゃなくてどうしますか?」

 

 一番気を使ったのは、罪悪感の払拭です。
 親も子ども、学校に行っていないことに罪悪感を持ちます。

 

 要は、主語が子どもか親のメンツなのか?

 

 ただ、児童相談所という実力のない非専門家たちに狙われると大変なので、そこは上手くやるように話をしていました。

 

 当事者はとても悩むのですが、一番つらいのは親ではなくて、子ども本人です。

 

 
「学校に行かなくてもいいけど、勉強はしろ!」
「学校はいらなくても、教育はいる!」
「自分の理想とする学校つくりたいなー」

 

との思いで、「釣塾」もやっていました。

 

◆教育を受けるのは国民の義務?

 

調子に追って、屁理屈を言わせてもらいますと・・・。
日本は、「教育を受けるのは国民の義務」というところからスタートしていると思います。
「教育を受ける権利を子どもは持っている」というのとは正反対です。

 まあ、私も、そんなこと考え始めたのは、

「ゆとり教育」という訳のわからない言葉が出て来たときですけど・・・。

 

私は、

人間は生まれて来たときはみんな天才で、
生まれもってきた無限の可能性を、
成果の実現という目的のために、
手段として自己啓発を行うのが、
教育だ

と思っています。

 

分かりやすい例で言えば、
歌舞伎の役者さんとはスポーツ選手に多い。

 

なにゆえに、義務教育を強制されなければならないのか?
なにゆえに、

6歳になれば、今まで笑っていた父や母が鬼のような形相に一変し、学校に連れていかれるのか?

ということです。

 

そんな素朴な疑問が湧いているのです。

 

私は思うのですが、
教育というのは、

本人の限りない情熱と、
限りない意欲と、
しっかりとした決意と、
はっきりとした意志がなければ、
受けることは不可能ではないのか?

義務教育が、天才の可能性の芽を摘んでいるのではないのか?
芽をどんどん摘んで、小さくまとめてしまう。
つまり盆栽じゃないくて、凡才にしてしまっていると思うのです。  (ここ笑うところ…)

 

9年もの間、何かを丸暗記させ、テストで脅し、内申書で脅し、選択の余地がない。

これが民主主義か?と思うのです。

 

◆塾通い?

 

とにかく教室に連れていかれ、テストと競争とそれの毎日。
その上、両親にも忠実にして、さらには、塾通いの子もいます。

 

私は有名進学塾で講師をしていたこともありますが、

毎日が自己矛盾でした。

 

子どもたちには
「自分のために勉強したい奴には、俺は教える気はない」
と宣言していました。

 

みんな目を丸くしていました。
「社会に役に立ちたい、人の役に立ちたい、

 そのために勉強したいんだという子には、心から教えたい」と。

 

今は、スクールカウンセラーがいるようですが、

どこまで子どもたちの味方でいられるのか、まったく疑問です。

 

これは、誰が悪いのか?

 

 

現実は義務教育があり、中高一貫教育が叫ばれ、

同時に保健室登校、不登校、登校拒否、いじめ、自殺、殺人まで…。

にも関わらず、企業はとうの昔に学歴無用論を打ち出し、
いったん採用し、社内教育制度をもち、再教育に余念がない。

 

一体、学校教育ってなんなの?と思いませんか?

 

さらには、奨学金の取り立ての問題もあり…。
医療も同じような構造です。
健康保険は、教育と同じく国民の義務です。
毎月のお給料からの天引きです。

 

医療費を掛けても、

人は98%は病気で死んでいるのではないでしょうか?

 

大往生を手にいれる人は2%いるのでしょうか?

 

現実は保険料以外に患者負担もあり、

医学は発展していると言っても、

病気の人は増え、

医療費は国家予算を破綻させるほどに増えています。

一体何をやっているのでしょうね。私たちは…

 

子どもが不登校になったり、

自分や家族が病気になって、

初めて思考をするのでしょうか?

 

それとも、何も思考しないまま、

流れに身を任せて生きていくのでしょうか?

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