第二話 人生は、どちらを選んでも失うものがある
第二話 人生は、どちらを選んでも失うものがある
M高校時代の教え子の一人が、大学でもソフトテニスを続け、高校教師になっていた。
合同練習をしたり、合宿をしたり、よく一緒に飲みながら色々な話をした。
大学時代、ある教授が私にこう言ってくれていた。
「君が高校教師になって、何年かのうちに、“先生みたいになりたい”と言って教師になる教え子が出てきたら、君は教師として合格だよ」
彼は、その第一号だった。
ただ、私の赴任していた学校には、高校教師になれるような大学へ進学する生徒は多くなかった。
彼も、最初の赴任地では、そういう学校に配属された。
だから彼は、次の異動では、「高校教師になれる大学へ進学する生徒がいる学校」を第一条件にしていた。
内定の打診が来ても、その条件に合わなければ徹底して断っていた。
数年待たされたが、最終的には、自分の望む学校へ赴任していった。
そして今では、札幌の希望校でソフトテニスを指導し、北海道を代表する指導者の一人になっている。
数年前、彼が真顔で私に訊いてきた。
「釣部さんは、どうして高校教師を辞めたんですか?」
私は、これまで話してきたことを伝えた。
すると彼は、静かにこう言った。
「僕は、そうは思いません」
「じゃあ、どう思うの?」
「生徒の頃から、僕は先生に憧れていました。これまでの話を聞いていると、R高校からの転勤ですよ。もし、あれが母校への転勤だったり、地方の一番校だったりしたら、釣部さんは先生を辞めなかったと思うんです」
私は、思わず言葉を失った。
「そうか……。そうかもな……」
彼の言葉は、本質を突いている気がした。
もし、あのとき。
私が人事を断っていたら。
あるいは、違う学校に赴任していたら。
私は、違う人生を歩んでいたと思う。
当時の私の夢は、教え子が監督をしている学校と決勝で戦うことだった。
教え子同士の学校が競い合い、生徒同士も交流し、監督同士も交流する。
そんな未来を夢見ていた。
もし、あのとき。
「泣けませんよ。自分の人生ですから、ここに残ります」
と、彼のように言えていたら。
私は、高校教師を辞めていなかったと思う。
でも、今の自分もいない。
教師を辞めた後、とんでもない人生が待っていた。
けれど今では、
「あれがあったから、今の自分がある」
と思える。
だから、辞めなかった人生の方が良かったとも思わない。
今の人生を、悪いとも思っていない。
ただ、あのときの自分は若かった。
情もあった。 名も顔も知らない先生や、その家族への影響も考えた。 校長の顔に泥を塗りたくない、という思いもあった。
志を通せなかったのか。 通さなかったのか。
そこには、今でも少し引っ掛かりがある。
知る人は知っているが、会えない娘のことも、もし自分の正義や志を捨てていたら、一緒に暮らせていたかもしれない。
神奈川への引っ越しもそうだ。
東京が嫌なわけでもない。 神奈川が特別好きなわけでもない。
一度、流れで申し込んだ物件の審査に落ちた。
その瞬間は落ち込んだが、逆に冷静になれた。
「無理はしない」
住みたいと思う物件があって、家賃も無理がなく、時期も自然なら行く。
通らなければ、来年でもいい。 いや、行かなくてもいい。
そう思った。
すると、もっと良い物件が決まった。
同じ轍を踏みたくないのだ。
これが良い。
そう思えたものを、私は流れの中で選んできた。
それが悪いとも思っていない。
新規事業も始めた。 SNSも積極的にやっている。 AIも、それなりに使っている。
今、さらに新しい話が3つ来ている。
正直、やってみたい気持ちはある。
一緒にやろうという人も集まってきている。
けれど、少し悩んでいる。
流れを、つかみ切れないのだ。
新しく始めるなら、止めるものも出てくる。
何を止めるのか。
自分を取るのか。 違うものを取るのか。
今年もガダルカナル島の遺骨収集に行きたい。 書きたい本もある。 出したい本もある。 配信したいこともある。
賛成意見もある。 反対意見もある。
でも、私は昔から、
「みんなが反対したらやるし、みんなが賛成したらやらない」
そんなところがある(笑)。
教え子が言ってくれた言葉は、今でも深いと思っている。
彼は、私の本質を見抜いていたのかもしれない。
どちらを選ぶにしても、あのときと同じ轍は踏みたくない。
美しい方を選べばいい。
けれど、どちらも美しい。
棘の道を選べばいい。
けれど、棘の種類が違うだけだ。
では、釣部は、本当はどうしたいのか。
最近、そんなことをよく考える。
大きな方向性は必要だと思う。
けれど、細かい数字目標や、細かい事業計画を立てるより、
今日一日を、一所懸命に生きる。
それだけでいいのではないか。
今は、そんな風に思っている。

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