◆「私たちは同じ世界を見ていない」 ―「なんで分かってくれないの?」と思ったときに
◆「私たちは同じ世界を見ていない」
―「なんで分かってくれないの?」と思ったときに
「なんで分かってくれないの?」
そう思ったことは、誰にでもあると思います。
先日、ある人が誰かのことを強く批判していました。
そして、私に同調を求めてきました。
でも私は、そこまで問題だとは感じませんでした。
人が否定されたり、非難されたりするのは、やっぱり気持ちのいいものではありません。
ただ、それを「する側」も、実は気持ちよくはないはずです。
私たちは日々、できるだけ不快な感情を避けて生きています。
それは自然なことです。
でも本当は、
出来事そのものが嫌なのではなく、
「その出来事によって生まれる感情」が嫌なのではないでしょうか。
たとえば、赤ちゃんの泣き声。
ある人は「うるさい」と感じ、ある人は「かわいい」と感じる。
近所のピアノの音も同じです。
同じ出来事なのに、受け取り方はまったく違う。
「かわいい」と感じる人は近づき、
「うるさい」と感じる人は距離を取る。

つまり――
問題は出来事ではなく、「自分の認識の仕方」にある。
私たちは誰一人として、同じ“認識の画面”を共有していません。
だから、誰かが自分の思い通りに考え、感じ、行動することは本来あり得ない。
もしそう見えるとしたら、
どこかで無理をして合わせてくれているだけかもしれません。
それなのに、思い通りにならない現実に対して、
相手を責めたり、自分を責めたりする。
一時的にはスッキリするかもしれない。
でも、それでは何も解決していない。
むしろ大事なのは、
「思い通りにいかなかったとき、どう向き合うか」です。
そのズレをストレスにするのか。
それとも、変化のチャンスにするのか。
ここが分かれ道です。
私自身、学びの中で気づいたのは、
この“認識の枠”の中にいる限り、同じことを繰り返すということ。
だからこそ――
認識の外から出発する。
ここに、新しい可能性がある。
思い通りにいかないことを楽しめるようになったとき、
人生は少し軽くなるのかもしれません。
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