【第1回】『最後の忠臣蔵』──帰依の中心が消えたあと、人はどこへ向かうのか

【第1回】『最後の忠臣蔵』──帰依の中心が消えたあと、人はどこへ向かうのか

 

忠義の物語として語られる“忠臣蔵”は、

中心が健在だった頃の話だ。

しかし『最後の忠臣蔵』は、

討ち入りが終わった“あと”から始まる。

ここで描かれるのは、武士の美学ではなく、

帰依の中心を失った人間が、どう生き、どう壊れていくのか

という深い世界である。

 

“帰依”とは、

誰かに従うことではなく、

誰かに自分の「意味」を預けてしまうことだ。

内蔵助という中心が死んだあと、

残された者はその「意味の断絶」と向き合うことになる。

 


■ 内蔵助は、赤穂浪士の“主君”ではなく“中心”だった

赤穂浪士は、組織でも派閥でもない。

思想の共同体でもない。

内蔵助その人が、そのまま求心力だった。

中心とは、命令する者ではなく、意味を与える者

 

なぜ生きるのか、

なぜ戦うのか、

なぜ耐えるのか。

すべての答えが、内蔵助という“一点”に宿っていた。

だからこそ、

中心の死はただの喪失ではない。

意味の源泉が消えるということ。

 


■ 密命──可音という“内蔵助の影”が、孫左の帰依を決定づけた

瀬尾孫左衛門(孫左)は、

討ち入りに参加できなかった。

弱いからではない。

不適だったからでもない。

 

内蔵助が抱えていた、深い影――

愛妾・お艶との間の娘・可音(かのん)の保護を

たった一人に託されたからだ。

 

これは忠義の任務ではない。

  • 主君の弱さ

  • 主君の秘密

  • 主君の罪

  • 主君の愛

それらすべての“人間としての影”を、

孫左は丸ごと預けられた。

 

これは、忠義では説明できない。

孫左は

“主君の人間性の奥底に帰依した人”

と言うほかない。

 


■ 人は、理由のわからない使命ほど強く縛られる

密命は説明されない。

目的も語られない。

報酬も、称賛もない。

ただ、

「おまえにしか頼めぬ」

この一言だけが、

孫左の人生を十数年縛り続けた。

 

ここには忠義の論理はない。

あるのは帰依の心理だけだ。

帰依とは、

理屈で従うことではなく、

“この人のために生きたい”

という、もっと深い衝動である。

 

理由なき使命ほど、

帰依によって深く浸透し、

人間の骨格そのものを変えていく。

孫左の人生は、理屈ではなく構造で支配されていた。

 


■ 帰依の中心が消えたあと、孫左は“意味”だけを抱えて生きた

内蔵助が亡くなっても、

孫左は生き続けなければならなかった。

なぜなら、

中心は死んだが、使命は残っていたからだ。

帰依の対象は消えたのに、

帰依によって与えられた役割だけが残る。

これは人を壊す構造だ。

孫左は十数年、

ただ可音を守るためだけに生きる。

しかし可音がついに嫁ぎ、

守るべき秘密が安全に処理されたその瞬間、

孫左は静かに腹を切る。

これは自殺ではない。

「意味の完了が、人生の完了になった」

という、帰依の終着点である。

使命は孫左を生かし、

使命の終わりが孫左の死となった。

 


■ 寺坂吉右衛門──同じ帰依を抱えながら外側で継いだ者

一方、寺坂吉右衛門は、同じ内蔵助に帰依していた。

しかし彼の帰依は、中心の死を境に別の形へ変化する。

彼は踏みとどまらず、外へ歩き出した。

 

「中心の死」をきっかけに帰依の対象を“未来”へ移した

と言える。

孫左の帰依は“内側で生きた帰依”

寺坂の帰依は“外側へ広げる帰依”

どちらも同じ内蔵助から生まれたが、向かう方向は全く異なる。

これが帰依の本質だ。

 

帰依する者はひとつの中心を共有していても、

中心が消えたとき、全員が違う方向に歩く。

忠義なら統一されるが、帰依は統一されない。

 


■ 『最後の忠臣蔵』は、

「帰依の崩壊」と「帰依の再構築」の映画である

討ち入りは、忠義の物語。

その後は、帰依の物語。

中心を失った者たちが、

  • ある者は使命に縛られ死に向かい(孫左)

  • ある者は精神を外へ運び(寺坂)

  • ある者は形だけ守ろうとし(町人たち)

それぞれに“帰依の残骸”と向き合う。

これは、

私は観てきた、あるいは、属してきた、属している団体の構造とも

驚くほど重なる。

 

中心に帰依していた共同体は、中心の死後、必ず揺れる。

人は中心がいたときより、

中心がいなくなったときのほうが多様な方向へ散っていく。

 

帰依が深かった者ほど、

帰依の喪失によって最も深く傷つく。

孫左の姿は、それを象徴している。

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