◆キャラ変?

◆キャラ変?

「今日、なんか静かだねー」

「今日、怒ってないのふむー」
「らしくないなー、つまんないじゃない」
 
これは、前日ある飲み会で言われたことだった。
私は、特に誰かや何かや社会にムカついてもおらず、みんなが話しているのを聞いていて楽しかっ。
私は、そんなに明るくなく、別に暗くはなく寡黙でもないが、、余計な話はしていなかった。
私としては、積極的に話題を振ろうとはししなかった。
だって勝手にみんな話しているから…。
その時にみんなが思ったのが、冒頭の言葉であろう。

高校・大学。教員時代と、私は、明るく、自然と自ら雰囲気づくりをしていた。

いつから、それをしなくなったのだろうか?
あの時あたりからかなーと思うことはある。
その時から、余り笑わなくなり、地味な服しか着なくなり、楽しく生きていること罪悪と感じるようになった。そして、社会や正義に反すると思うことに、ムカついていた。
何があったか、ここでは控えておく。

その後、25年をかけて、そのことはクリアしているが、表に出さないようにはなっているが、内側は少ししか変わっていない。
昨年、【明朗さとやかましさの区別】を教えてもらった。すっきりした。
今年に入って、
「自分の認識は自分一人でだけなんだ。その人の認識はその人一人だけなんだ。だから分かち合うことは基本できないんだ」
とわかった。
そう思いはじめると、
あーそうなんだ。
心にミットとバットの話。
が理解ではなく腑に落ちた。
すると、むかつくが減ったり、少し時間は経つを、あきらめもつく。ただ、合わない人とつきあい方を変えることになる。
そんな中で、
「俺は、これやってないなー」
「ふむ、できないぞ!じゃなくて、俺の人生生まれてきてからやってないなー」
と思ったのである。
キャラ変する必要はない。
自然にそう思ったら。私らしい明朗さが出てくると思ったのだ。
そういえば、昔から「俺は、俺でいたんだー!」心の中で叫んでいた。
そして、そんなことも忘れていた。
ほんと、「できてないなー」ではなく、
「やってないなー」と気づかせてもらった、
最近、今までとは、次元が違う気づきがある。
先日、親父に、手を合わせながら、思った。
ガ島から帰還兵親父、釣部家の先祖、英霊が、私の人間性回復を応援してくれているのではないか?と。

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