◆私がやりたい飢餓救済活動

◆30年間忘れていた話をします。

私は、32才の時に高校教師を辞めました。
特別に何かがあったわけではありません。

私は、ある方が提唱する飢餓救済活動がしたかったのです。

 

 

いろいろ準備、インドで小さくできるところからスタートして、

現地新聞に取り上げられたりしました。

そんな折、冤罪に巻き込まれます。
それで、その活動はとん挫。

私は、それから、マスコミ法律担当として、裁判に没頭することになります。
会社は倒産し、活動は停止、有罪が確定し、その後、提唱者が他界。

私は、ジャーナリスト活動、出版社設立し生計を立て、Youtubu配信開始、倫理法人会に入会などをしていきました。

6年前に、事件の影響で確執ができていた母とも和解、兄とも一緒に飲めるほど関係が修復。

そして、今月、歪曲した報道で、事件をつくった某TV局から、取材依頼が来た。

飢餓救済活動もあること無いこと書かれました。

 

いやな思い出が蘇るが、TVとのやり取りする中、おちょくられることもなく、先方が取材を辞退しました。

 

先日、ある人に、
「教師を辞めた時に言っていた飢餓救済活動のことを最近聞かないけど、諦めたの?」
と訊かれました。

 

正直、忘れていた。

俺にとって、それだけのことだったのか?と思った。

 

数日たつ中で、色々思った。

 

だんだん、あの時の思いや、構想を思い出す。
さらには、この30年間で、成長した自分、人脈、時代背景の変化の中で、
今だからこその、あの時とは違う構想も、仲間づくりの方法も浮かんできた。

 

同時に、30才も年を取っている。

「今更、お前がやらなくてもいいだろう」
「出版社と冤罪被害者支援で手が回らないだろう」
「お金もないし、時間もないし、具体的な人脈もないし…」
と自分の声が聞こえてくる。

 

 数人に話してみると、いろいろ言ってくれる。

 反対者はゼロ。

 

いい人を演じたり慈善事業のように思うと、

私のココロ、精神が行き詰ることは目に見えている。

 

 さらに深まってくる。

 で、出てきた思いがある。

 冤罪被害に遭った自分を癒す活動としてはどうだろうか?

「これが、❍❍が潰した、飢餓救済活動だよ! これが私の志です!」
「この活動を誤解して、妨害しつぶしたんですよ。まあ、潰されませんけどね」
「私のココロを妨害をすることは出来ませんよ」

 自分の救済として、アジアの飢餓救済活動を始めたい! 
そんな風に思うと、気持ちが楽になって来たし、今までの苦労や、人脈を使えるし…

 

 エゴチックですが…

 

とういうことで、

小さく、できるところから、アジアの飢餓救済活動を始めようと思っています。

 

国としては、インドネパールミャンマあたりからアプローチを始めようかと思っている。
現地の人や、すでに活動している方や組織と連携して、
ボランティア的なことをできたらと思っている。

探せばもっとあると思う。

どんな飢餓救済活動かというと、
結末としては、「食糧と医療と教育の3点セット」を現地に届けたい。


プランとしては、
1,名前を決める
2,経営理念のたたき台を決める
3,活動指針のたたき台を決める
4,公表する。仲間を募る。
5,来年、現地視察兼ねて、どこかの国にい、ノートや鉛筆を配ることから始める。
6,その時事を3回くらい重ね、他の団体との連携をしていく。
7,連携を重ねながら、さらに自分らしい立ち位置をシフトしていく。

 今のところ、ここまでです。

 一緒にやろうよ! これなら協力できるよ!と思う方は、声をかけてください。

 10年間で形を作りたいです。

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