旧統一教会の解散命令申立についての一考察

◆旧統一教会の解散命令申立がなされた。

 

 これまで、オウム真理教と明覚寺(和歌山県)の2例の解散命令があったが、いづれも犯罪に問はれた事実を根拠としていた。
 しかし、旧統一教会で犯罪事実はなく、民法の不法行為に該当する事実しかない。

 先例主義に則れば、旧統一教会の解散命令は認められないことになろう。

 最高裁では解散命令の申立を棄却することになる可能性がある。
 法令違反が解散事由であるが、法令違反とは禁止規定違反であり、刑法だけには限らない。
 不法行為も禁止規定違反である。

 刑法は、例えば、人を殺してはならないという殺人禁止の規定はなく、人を殺せば刑罰を科すという規定があるだけである。決して、人を殺してはならないとは記載されていないが、殺人に刑罰を科すことを定めることによって、禁止規定とされている。

 これと同様に、不法行為を行つた場合は損害賠償義務が課せられるという民法の規定は、刑法と同様に、不法行為の禁止規定なのである。

 そういう意味で、不法行為の規定も禁止規定なので、刑法と変はりはなく、法令違反として解散事由に該当することになる。

 しかし、違法性の程度からみると、刑罰に抵触する刑事違法の行為と、不法行為に抵触する民事違法の行為とは、違法性の程度が異なる。

 反復継続した常習性があるとして違法性の態度が強いと民事違法と認定することによって、刑事違法と同視するといふ認定ができるか否かが争点になるのか?

 しかし、高額寄付が違法だと言っても、宗教活動だと言えば、宗教活動以外による不法行為ではない。
 この点について、違法性の程度の判断は、宗教活動における違法行為と宗教活動以外の不法行為とを区別しなければならない。

 とすると、宗教活動の不法収益と宗教外活動の不法収益とを区別すべきであるとする旧統一教会の主張は正しいが、法令違反に該当しないとする旧統一教会の主張は誤っていることになる。
また、刑事違法と民事違法とを全く同列に認識する政府の主張も法理論からすると、おかしい。

 つまり、被害者と称する者や信者二世、これを支援する弁護団や政府の主張と、旧統一教会側の主張とは全く噛みあっていない。

 

 誤解を恐れずに言えば、法律論の論争ではなく感情的な対立ではないのか?

 政府としては、解散請求を申し立てたので、無理筋であっても、新しい解釈を作ってでも、解散請求は絶対に認容させるのであろう。
 最高裁の判断もどうなるのだろうか?
 三権分立なんてあるのか?

 個人的にどう思われるかと言われれば、旧統一教会だけではない、宗教団体をどうするか?も公正公平な判断をしてほしい。
 今となっては、宗教法人の課税特権を廃止してもいいと思う。

 パレスチナ自治区のガザ地区にイスラエル軍が侵攻するする状況は、イスラム教とユダヤ教との宗教戦争ですよね。

 そう考えると、これからの宗教の在り方も変わらないといけないと思う。

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